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Mahler/Sym2 [交響曲(マーラー)]

スイトナーの話を長らく聞いていないなあと思っていたら、東独の崩壊時にすでに(ショックで?)引退してしまっていたのですね。この人も日本で人気を博した時期がありました。

マーラー:交響曲第2番

マーラー:交響曲第2番

  • アーティスト: ベルリン・シュターツカペレ, ベルリン歌劇場合唱団, ハヨーショバ(マグダレーナ), プリーブ(ウタ), マーラー, スイトナー(オトマール), シュトイ(エルンスト)
  • 出版社/メーカー: 徳間ジャパンコミュニケーションズ
  • 発売日: 1998/04/08
  • メディア: CD

おお、まだ現役で販売されているのですね。私の持っているのは、この前に1000円盤で発売されたときのものです。70~80年前後にシャルプラッテンやスプラフォンなどで数々の録音を行い、N響の指揮者であったことも手伝って、日本ではかなりの人気だったと思います。当人も日本びいきで、浴衣を着てホテルの部屋でくつろいだり、「音丸」と日本語でサインしたりしたという逸話を聞いた覚えがあります。

彼の作る音楽はストレートで、もって回った節回しやテンポの細工とは縁遠いものでした。モーツァルトやドヴォルザークなど実に自然で、ほっとしたいとき、身構えずに聴いても心地よい響きがします。リハーサルなどでも、楽員を叱責することはなく、終始穏やかに自分の表現したいことを伝えたと聞いています。反面、細部にあまりこだわらないときもあり、マーラーなどで細かい仕掛けを楽しみたいときは、ちょっと物足りなく感じたことがあったような記憶がありました。

今回は、そのマーラーの交響曲第2番「復活」、ベルリン歌劇場管弦楽団・合唱団による演奏を久々に聴きました。全体的に、マーラーのひとつの特徴であるルバートや「タメ」などが強調されていないため、あっさり目に聞こえる、というのは否めないでしょう。しかしこの録音を聴いていると、第2番や第3番のように長大な、多くの楽想がてんこ盛りに次から次へと出てくるような曲の場合、マーラーが第3番について言ったように「そこにすべてのものを書き込んでしまった」ともいえるわけで、ことさらにそれをいっそう強調する必要はないのかもしれない、という気になってきます。

指揮者は誰でも必ずしも楽譜に忠実なわけではなく、だからこそ千差万別の演奏があり面白いのですが、スイトナーも楽譜に忠実なところとそうでないところがあります。例えば第1楽章冒頭の弦のトレモロは、スフォルツァンドのように最初の1音を強調して弾かせる演奏が多いなか、譜面どおりff からディミニエンド(次第に小さくなる)しています。そうかと思うとテンポをがくっと落とす練習番号5のあとの"Pesante"や再現部直前の"Molto pesante"では、指定より早い場所からテンポを落として変わり目を強調したりしています。

第2楽章は主要主題が3回、トリオを2回はさんで繰り返されるわけですが、主要主題は1回目から2回目、3回目と回を重ねるごとに優美になっていき楽譜に指定のないルバートも何箇所か、とても自然に行われています。一方、トリオは1回目より2回目のほうが荒々しさを強調されており、ともすれば、他の楽章にうもれて単調に聞きがちなこの楽章を、生き生きと再現してくれています。

第3楽章冒頭のティンパニも、ことさらに見得を切るでなく、普通の歯切れよいff で始まっています。急ぐでなく滞るでなく、絶妙のテンポ運びなのですが、この楽章のおどろおどろしさを強調するような極端な表情の演出とは対極にある、流れのよい演奏になっています。マーラーの速度指示はところどころにあります。これらが比較的忠実に、しかし誇張されることなく守られているのが、心地よく音楽の流れに身を任せていられる要因なのではないかと、今回聴いていて気がつきました。スイトナー、なかなかやり手かも。

第4楽章のソロは、ウタ・プリーヴ。あまり重くない声質は、「荘重に、しかし簡潔に」と記された標語の後半に重きをおいたかのような解釈と(たまたまでしょうが)合っているように感じます。「私はむしろ天国へ行きたい」と歌うあたり、重々しく演奏することも可能なはずですが、あえてスイトナーはさらりと流して、ストレット風の「私は神から出たもの」以降の切迫感が強調されています。

第5楽章冒頭の「爆発」もことさらに細部が強調されることなく、あたかも「マーラーはこのように書いた」というように、過不足なく楽譜が音にされている印象を受けます。淡々と進む中で、練習番号20の"Heftig draengend"(ウムラウトはeで表記しています、以下同じ)がいきなり強調され、次の"Wieder zurueckhaltend"のトロンボーン・ソロも細かくテンポを揺らした表現になっています。

このあと、チェロとファゴット、さらにヴァイオリンに主題が移っていく部分はバンダ(舞台裏)のブラスバンドが絡んでくるのですが、この部分でこれだけオモテのmolto espressivoが生きている録音はなかなかないように思います。この追い立てられるような雰囲気のまま、トロンボーンとベースの主題が出てくる"Halbe taktieren"で指示通りさらにテンポが増し、楽章冒頭の再現になだれ込みます。その後、合唱が入るまでは再び、もって回ることなく音楽が流れていきます。

合唱も大きくテンポを落としたり、フェルマータを強調したりすることなく主題の姿をきちんと見せたいかのように明確に歌われます。その後も、"Langsamer. Misterioso"のところ(男声とアルトの合唱、バスに最低音のB♭が出てくる)で(さすがに)遅くなるくらいで、劇的さ(変な日本語?)を強調せずとも、音楽が「復活」を十分表していることを教えてくれる、控えめ、というにはもったいない、端正な表現で曲を閉じます。

こうして聴きなおしてみると、さまざまなマーラーへのアプローチが試みられてきた現代、彼のアプローチがかえって新鮮に聞こえます。情念渦巻く妖しい世界もマーラーなら、このすっきりくっきりした表出もまたマーラーなのだ、という認識を新たにさせてくれました。

最後にこのCDについて本質的でない愚痴を。ある意味邪道だし、CD初期の録音なのでやむをえないこととはいえ、第5楽章がひとつのトラックというのはいかにも不便です。それともうひとつ、このCDは2枚組ですが、実は録音時間の合計は79分台で、通常のCD1枚におさまります。これもこのCDが出たときは1枚74分が上限だったから、そのまま再プレスして発売しているのでしょう。怠惰な生活に慣れてくると、ディスクを取り替えるのも面倒くさい…。いや、枝葉末節だというのは重々承知しているつもりですが。


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mozart1889

スウィトナーは大好きな指揮者です。
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ドヴォルザーク・・・・彼の指揮する交響曲はよく聴きました。
このマーラーの「復活」もイイ演奏だと思います。スウィトナーのマーラーは5番もそうでしたが、とても綺麗なんです。美しいマーラー。ドロドロせずに、耽美的なマーラーでした。カラヤンの振るマーラーに似ているなぁと思うときもありました。スッキリクッキリ、美麗なマーラーだと思います。
あ、ボクは好きです。
by mozart1889 (2006-05-06 05:19) 

stbh

mozart1889さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、ドロドロと対極にある、すっきり美しいマーラーでした。若いころは物足りなかったような気がしていたのですが、こうして聴いてみると安心して楽しめます。モーツァルトなども「音楽そのもの」が鳴っているような心地よさがあったことを思い出しました。また聴いてみたいと思います。
by stbh (2006-05-06 09:48) 

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