SSブログ

Mahler/Erde [交響曲(マーラー)]

第8番で巨大オーケストラを使い切ったマーラーは、その後、室内楽的なアンサンブルへ大きく舵を切ります。そのはじめの作品、というよりは、これまでの歌曲の集大成のような作品が「大地の歌」です。

歌詞も、「来たれ、創造主なる聖霊よ」「すべて移ろい過ぎゆく無常のものは、ただ仮の幻影に過ぎない」から「この黄金なる盃の中の酒を飲み尽くす時だ」「だからそれゆえ私は酒を飲む 酔いつぶれて飲めなくなるまで 終日酒に溺れようぞ」ですから、人類の栄光から、私小説的・感傷的な心象風景へ大転換しています。うーいひっく。

というのはちょっと誤解を招く偏った見方で、厭世的な詩をあえて選び、曲の半分を占める終楽章に「告別」を持ってきているように、かなり「死」を意識した曲ではあります。長女の死、ウィーンからの追放といった打撃、そして蝕まれている自分の体を意識しての作曲ですから、ネガティブ・イメージがかなり直截的に表現されています。

マーラーがこの曲を「第9番」と呼びたがらなかったという逸話が必ず引き合いに出されます。もちろん「第九」であることを嫌ったのでしょうが、中国のテキストや五音音階の多用など、大きく変わった楽想と、曲の「個人的な」理念が、これまでの交響曲の系列と違和感があり、通常の番号を与えなかったのではないでしょうか(マーラーは「大地の歌」を番外にして、第9番を「第10番」と呼ばせたかった、という資料を見たような気がするのですが、出典を思い出せないので情報だけ書きます)。

そして第9番は、(自分の状態に基づくとはいえ)より普遍的な「告別」をテーマとした曲になったのですが、それに続く第10番はアルマへの想いを切々と綴った「大河私小説」となるべく作曲が開始されますが、未完に終わります。

「大地の歌」が歌曲の集大成だと感じるのは、オーケストラの規模です。ステージに乗っている楽器数こそほぼ4管編成(ファゴットは3番がコントラ持ち換えなので譜面上は3本)ですが、これらが同時に音を出すことはありません。もっとも寂しいのはテューバで、第4楽章に6小節のパッセージがあるだけです(風通しのよいパート譜をみせてもらったことがあります。ひゅるりら~)。ティンパニの出番も第4楽章だけですが、テューバとは別のところで出てきます。その他の楽器では3番トランペットが第1楽章だけ(トランペット全体も第2、6楽章は休み)、チェレスタが第6楽章だけ、など、出番の少ない人がいっぱいいます。

ま、第1番コーダや第2番、第8番のブラスバンド、第2番のオルガン、第2番、第3番の合唱、第7番のテナーホルンやギター、マンドリンなど、マーラーの交響曲はいろいろ不経済なパートがありますけれど。(第6番のハンマーは、音は二つですが他の打楽器と掛け持ちになるので、奏者としての出番はいっぱいあります)

親しんできた録音はおなじみの、これです。

マーラー:交響曲「大地の歌」

マーラー:交響曲「大地の歌」

  • アーティスト: パツァーク(ユリウス), フェリアー(カスリーン), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, マーラー, ワルター(ブルーノ)
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 1998/09/02
  • メディア: CD

メータの「復活」を買って、「マーラーはウィーンに限る!」とか(マーラーとウィーンとの確執も知らずのんきに)思ったのと、かっこいい題名に惑わされて?買ったのだと思います。この路線から逸脱できずにワルターの3回目の録音、バーンスタイン/VPO/キング/フィッシャー=ディースカウあたりを聴いています(でもブーレーズ/VPOは未聴)。

今回、ジュリーニのライヴのテープがありました。といっても、最近CDが発売された87年のVPOとの演奏(40番は録ってたのに…)ではなく、84年2月14日、BPOとの演奏です。ひょっとしてCDの下敷きになった演奏会でしょうか?このCDは「ライヴ」表記でしたっけ?

マーラー:作品集(2)

マーラー:作品集(2)

  • アーティスト: マーラー, マティス(エディット), ルートヴィヒ(クリスタ), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, カラヤン(ヘルベルト・フォン), ファスベンダー(ブリギッテ), アライサ(フランシスコ), ジュリーニ(カルロ・マリア)
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 2002/01/30
  • メディア: CD

第4番(カラヤン)のところで紹介だけしてリンクを張らなかったCDです。輸入盤はアマゾンでは品切れのようですが、国内盤は大丈夫でしょうか。単発の国内盤も在庫切れでした。

80年代以降のジュリーニというと、丁寧な語り口=全体に遅いテンポというイメージがあります(少なくとも私はありました)。決して音楽はよどまないのですが、たっぷりとした表情で、ある意味管楽器奏者泣かせの演奏/録音が多かったと思います。しかし、この演奏はぜんぜん遅くなく、かなり軽快といってもいいくらいです。音楽の表情も、ベルリン・フィルの多彩な音色と相俟って、変化に富んでいます。曲によるところも大きいとは思いますが、VPOとの後期ブルックナーや、シカゴとのマーラー9番、グレート等とくらべて非常に華やかな演奏だと感じます。

ショルティやカラヤンとの演奏でけっこう悪口を言ってきましたが、この演奏会のBPOは非常にアンサンブルがよいです。ジュリーニが多くの練習を行なったからでしょうか。 

7月4日付の朝日新聞夕刊にジュリーニの追悼記事が出ていました。「最高のキャスト、十分なリハーサル、音楽に専念できる環境が実現できなくなったので、オペラは60年代末でやめた」「98年に引退してからは、情緒不安定になるので音楽は聴いていない、自宅には、CDも楽譜も無かった」など、その完全主義の片鱗がうかがわれました。

商業主義の「録音」に関して、彼はどのようなポリシーを持っていたのでしょうか。むろん、もし彼が録音した結果に関心を示さなくても、「演奏会でもスタジオでもよい音楽はよい音楽」との信念で録音のセッションを行い、彼の意図をできるだけ再現しようとしたプロデューサーやエンジニアがいたからこそ、数々の「名録音」が生まれたのだと思います。

陳腐な表現で恥ずかしいですが、これしか思いつきません。「最後の巨匠」 ご冥福をお祈りします。

☆追記 演奏時間を比較したところ、CDは64分台、本録音は60分台でした。CD未聴なのでどこがどうとは言えないのですが、やはり録音と演奏会ではけっこう違う(場合もある)ものなのですね。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

TomitaPlanetsMahler/Sym9 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。