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Brahms/Sym4 [交響曲(独墺系)]

「秋はブラームス勝手に連動企画」、やっと第2弾です。

大名曲の交響曲第4番ホ短調。今回聴いたのはチェリビダッケの古い録音です。

ブラームス:交響曲第4番

ブラームス:交響曲第4番

  • アーティスト: チェリビダッケ(セルジュ), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, ブラームス, ベートーヴェン
  • 出版社/メーカー: キングインターナショナル
  • 発売日: 1999/11/26
  • メディア: CD
Tahraの2枚組もあり、HMVでは現役のようです。
ただし、この盤では録音が1945年11月18日となっていますが、私の持っている盤(後述)は、11月21日となっています。
もう1年半近く前のことになりますが、このブログで最初に採り上げたのがチェリビダッケ/ミュンヘン・フィルのブルックナー交響曲第6番でした。
私は正直言って、チェリビダッケの作る音楽のよき信奉者ではないと思います。音楽の一瞬一瞬の響きを大事にし、各瞬間で十二分に鳴らすために、テンポが遅くなるのは一理あると思いますが、それでも私は、彼の演奏(録音-これもそもそも彼は嫌っていましたね)を聴くと、推進力が、前進する躍動がもっとほしいと、いつも感じていました。ですので、数年前タワレコで売られていた、1930~50年代の演奏をリマスタリングせずにまとめた安売りCD"20th century conductors"に「チェリビダッケ集」が(「カラヤン集」と2枚組で!)あっても、あまり気にはとめていませんでした。
いっぽう私は、ブラームスの交響曲を聴くことについてわりと冷めています。すべての曲に何らかの形で演奏に関わった者-私の世代では多いと思いますが-は、もう自分の中でこれらの曲のイメージが出来ています。他人のイメージによる演奏・録音を耳にするだけでもエネルギーがいりますし、それが相容れないものだったときの落胆を想像すると、極端な表現をすれば、どうしてわざわざ聴く必要がある、と思ってしまうのです。
とはいえ、そこはそれ、魅力的な曲ですから全く聞かないというわけではなく、数年に1回くらいの頻度でCDを聴いてはいました。チェリビダッケのブラームス、シュトゥットガルト管弦楽団との交響曲第4番の演奏(ライヴ録音)を持っていますが、これはいかにも「チェリビダッケ」的な、重い、美しい演奏だったと記憶しています。今回「勝手に便乗企画:秋はブラームス」に際して、何かないかと探すうち、このCD箱をあさっていると、チェリビダッケ指揮の交響曲第4番が入っていることがわかりました。それも、戦後の復興間もないベルリン・フィルとの演奏ではないですか。
このCDは、前述のように1945年11月に録音されています。敗戦直後の5月からベルリン・フィルの再建を目指したボルヒャルトが急死し、急遽チェリビダッケがはじめてベルリン・フィルを振ったのが8月。その3ヶ月後の11月の演奏会の録音です。しかし最初は、このような経緯は知らず、「若き日のチェリビダッケってどんなだったのかしら、やっぱり遅いのかしら」程度の軽い気持ちで聞き始めました。
侮りました。
第1楽章冒頭、切れ切れの、「ブラームスの吐息」と呼ばれる主題を、ややゆっくりめで始めた演奏は、しかし次第に速度を増し、大きなうねりとなって突き進んでいきます。敗戦から1年足らず、決して満足な環境で演奏できるはずがないのですが、まさに奏者達の、そして聴衆の音楽に対する渇望が見えるような演奏です。むろん、アンサンブルの乱れや音程の不協和など、瑕疵を上げだしたらきりがないですが、そんなチンケなケチは軽く吹き飛ばしてしまいそうな、熱い、推進力のある演奏です。思わずマーラーのスコアにある"Vorwarts!"(「前進!」)という標語を思い出してしまいました。
だいたいブラームスの第4交響曲というと、「枯淡の境地」「老境の寂しさ」「ひとり身の空しさ」みたいなキャッチフレーズとともに語られることが多いです。教会旋法やパッサカリアを用いた擬古的な様式も災いしているのでしょう。しかし、いやしくも作曲家たるもの、どんな老境にあっても、そんな「死にそうな」音楽を書こうと思うでしょうか?ましてブラームスは、このあとも交響曲の構想を練っています(最終的には「二重協奏曲」として完成します)。この曲は、このように生き生きと演奏されてナンボだと、私は思います。
第2楽章は、チェリビダッケ晩年の、響きを大事にするアプローチがすでにうかがえます-アクセントがやや控えめだったり、中間部で一段テンポを落としたりするところなどに現れています。しかしテンポ感は常に明快で、流れが感じられる演奏です。
続く第3楽章はそれほど強烈な印象を与えませんが、この楽章は全曲中唯一の長調、それも明快なハ長調で、2/4のリズムも、ブラームスにしてはシンコペーションの少ない、わかりやすいものになっています。おまけに、ブラームスの全交響曲中で唯一、天上の楽器=トライアングルが使われています。ことさら明るさや速度を強調しない方が、かえって全曲の中でのバランスはよいでしょう。
さて、ここでちょっと打楽器の話を。トライアングルはそれでなくてもオーケストラの中で音が浮きがちな楽器ですが、この曲のしんどさは生半可ではありません。他の金属打楽器も、ハープすらもいない中、ピッコロが入っているとはいえ、渋いブラームスのオーケストレーションに美しく乗っていかないといけないのです。正直言って、なかなかアマチュアに楽しめるパートではありませんね。反対にティンパニは、F、G、Cという低めの音3つで、リズムが非常に重要なこの楽章を、決して重くなることなくたたききらなければなりません。例えば後半のクライマックスにむかう長いオルゲルプンクトのGのリズムは、ppからffまで非常に神経を使いますが、オーケストラのダイナミクスとぴたりと合ってffを呼び込む快感が得られたときは、「タイコタタキでよかった」と思える一瞬ですね。
話を演奏に戻して第4楽章のご紹介をしましょう。ブラームスはもともと変奏曲を得意にしてきた作曲家だと思います。その究極の形のひとつとして、この「パッサカリア」に行き着いたのでしょう。一部半音を交えて5度上行し、オクターブ下がって主音で解決するという、非常に単純なテーマを用いながら、和声付けや細かいリズム・音形の表情などにより、万華鏡さながらに姿を変えていくさまは、まさにブラームスの作曲技法の頂点のひとつではないでしょうか。ここでのチェリビダッケ/ベルリン・フィルの演奏は、第1楽章と同様に、ものすごい推力を持つものになっています。「夢見る」曲想の中間部も緊張感が途切れることは無く、コーダも最終音まで躊躇無くなだれ込んでいく音楽は、現代の非常に鍛えぬかれたベルリン・フィルからも、そうそう聴くことはできないでしょう。
若き日のチェリビダッケ、侮り難し。こういう演奏を経て、行き着いた境地があの晩年の演奏群だったのだと納得の行く、熱い姿がここにあります。

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コメント 4

サンフランシスコ人

チェリビダッケの演奏会に行ったことがあります。
by サンフランシスコ人 (2009-01-06 09:43) 

stbh

古いエントリーにまでコメントありがとうございます。チェリビダッケも聴かれているのですね、すばらしい!
by stbh (2009-01-09 07:37) 

サンフランシスコ人

フォルテのない不思議な演奏でした。

by サンフランシスコ人 (2009-01-10 05:35) 

stbh

> 不思議な演奏

いわゆるチェリビダッケ節でしょうか。でも実演に接することができたのは、貴重な体験だと思います。
by stbh (2009-01-10 08:28) 

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