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Mahler/Erde [交響曲(マーラー)]

関東南部はあまり雨も降らず、次第に夏っぽくなってきています。

さて、今回の「大地の歌」は、また有名盤を。

マーラー:交響曲「大地の歌」

マーラー:交響曲「大地の歌」

  • アーティスト: ミラー(ミルドレッド), ヘフリガー(エルンスト), ニューヨーク・フィルハーモニック, マーラー, ワルター(ブルーノ)
  • 出版社/メーカー: ソニーミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1999/07/23
  • メディア: CD

ワルター最晩年のステレオ録音です。ワルターの「大地の歌」は5種の録音があり、その中では1952年のVPOとのスタジオ録音(フェリアー、パツァーク)が最高といわれています。若いころからモノラル嫌いだった私も、「大地の歌」の刷り込みはこれでした。戦後(50年代前半)、ワルターはNYPを中心として、コロンビアにかなりの数の録音を行いましたが、「大地の歌」はウィーンで録音しています(たぶん、唯一のデッカへの録音)。

いきなりちょっと脱線すると、60年代にNYPとマーラーの交響曲全集をCBS(前身はコロンビア)に録音したバーンスタインも、「大地の歌」はVPOとデッカへ録音しています。これは偶然なのでしょうか、それとも何かDecca-VPOでなければならない理由があるのでしょうか(フィッシャー=ディースカウとか)?

さて、話をワルターに戻します。その後ステレオ録音が可能になると、一度引退したワルターは、彼のために編成されたコロンビア交響楽団を相手に数々の曲を(再)録音していきます。「田園」や「40番」、「巨人」などの録音は今でも十分スタンダードとして通用する、格調と温かみのある貴重な録音ですね。

そんな中、「大地の歌」の録音にはNYPが起用されます。この理由として、「コロンビア交響楽団が小編成だったから」というのを見たことがありますが、これはあたらない。「巨人」のほうがオーケストラとしての編成は大きいです。ワルターがたまたまニューヨークに行ったときに録音した、とも言われていますが、だったらコロンビア交響楽団でじっくり作ってもよいように思います。主流の意見ではないかもしれませんが、「コロンビア響の力不足」あたりが、妥当な理由なのかもしれません。

この曲の形式の考え方は、大きく2通りあると思います。まず各楽章の長さで考えると、第1~5楽章と第6楽章がほぼ同じ長さなので、ここで2部に分けるとらえ方。いっぽう、音量的なクライマックスを中間部に持つ3部形式の4を中央と見ると、中間楽章の性格を持つ3と5を前後に配し、もっとも交響曲の楽章らしい1と緩徐楽章の2を前に、大きな2部構成の6が後ろに置かれていると見ることもできます。となるとこれは、#5, 7, 10と同様のシンメトリー構造ですね。

LPで聴きなれているので、感覚的には「1-5と6」なのですが、ラヴェル編曲の「ビドロ」にも似た弱-強-弱の第4楽章を中央に見立て、それに、曲の終結に向かって昇華していく、第9交響曲に通じる流れを重ね合わせる、という見方はなかなか魅力的です。

さて、演奏についてです。他に聴いたことがないわけではありませんが、「大地の歌」はどうしてもワルターの演奏に戻ってきてしまいます。以前ご紹介したジュリーニ、バーンスタイン(新旧)、デイヴィスなど、この曲も名盤目白押しなのですが、やっぱりワルターによる録音が、「マーラーの大地の歌」が聞ける感じがします。単に刷り込みなのかもしれませんが、「大地の歌」に限っては、愛弟子ワルターの録音が、マーラーの意図を反映しているような気がします。

ワルターが、マーラーの死の半年後ミュンヘンでこの曲を初演したとき、同時に「復活」も演奏しています。今にして思えばものすごいプログラムですが、このころの演奏会は、概して今より長かったようです。しかしマーラーの遺作である独唱つき交響曲の初演(第9交響曲の存在は、当時知られていたのでしょうか?)-その最後は、消え入るように「永遠に、永遠に」と歌われる-と、マーラー自身の詞による「死からの復活」という明快なテーマを持つ、いっそう長大な第2交響曲を一度に、マーラーの弟子であり友人であるワルターの指揮で演奏する、という演奏会は、当時のミュンヘンの聴衆にとっても特別なものだったことでしょう。

この(初演)時のワルターの心中はいかばかりのものであったでしょうか。そして彼は、以後もそれを常に胸に秘めてこの曲にのぞんだことでしょう。そう思うと、感傷的ではありますが、やはり彼の「大地の歌」は格別なものに思えます。

この録音にしても、前のVPOとの録音にしても、オーケストラのアンサンブルは近年の録音に較べると粗いです。ときどき明らかな間違いもあります。しかし例えば、最終楽章はじめのアルトとフルートの部分の寂寥感など、迫ってくるものが多々あり、テクニカルなものを補って余りあります。

52年版のパツァークと比較され、けちをつけられることの多いヘフリガーですが、個人的にはパツァークの作為的な響きのする声よりも、ヘフリガーのほうが好みです。アルト(声はメゾ?)のミラーも、フェリアーの個性にはかなわないかもしれませんが、癖の少ない、より曲との一体感のある解釈が光っています。


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コメント 4

吉田

ニューヨークとの盤は、まだ聴いたことがありませんが、ヘフリガーが歌っているとなると(いや、ワルターならば、か)、聴かないわけにはいきませんね。VPOとのものは、私見ではパツァークがちょっと引っかかるのです。
by 吉田 (2006-07-14 22:08) 

mozart1889

ワルターの「大地の歌」は別格ですね。ソニー盤もDECCA盤も素晴らしいと思います。

ところで、バーンスタインのDECCA録音の件ですが。
当時ウィーン・フィルはDECCAの専属だったと思います。CBSがバーンスタイン/VPOでヴェルディの「ファルスタッフ」を録音するために、逆にCBS専属だったバーンスタインにDECCA録音を許した、バーター契約だったと記憶しています。それで「大地の歌」が実現したのだったんじゃないかと思います(もう1枚のLPはモーツァルトの「リンツ」とピアノ協奏曲15番の弾き振り)。
by mozart1889 (2006-07-15 05:40) 

stbh

吉田さん、ご来訪ありがとうございます。
ソリストに関しては、ウィーン盤よりNY盤のほうが癖が無いというか、自然な感じがしますね。ウィーン盤は、やはりウィーン・フィルの音が最大の魅力です。でもNYPもがんばっているので、ぜひ聴いてみてください。
by stbh (2006-07-15 19:45) 

stbh

mozart1889さん、ご来訪ありがとうございます。
そうですか、「ファルスタッフ」とバーターだったのですね。お教えいただきありがとうございます。そういえばバーンスタインは、「薔薇の騎士」とか「フィデリオ」、「トリスタン」などオペラもそこそこ録音しているのですが、少なくとも店頭ではあまり見なくなりましたね。やはりマーラーをはじめとする交響曲などのほうが人気が高いからでしょうか。
by stbh (2006-07-15 19:50) 

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