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Mahler/Sym1 [交響曲(マーラー)]

めっきり春めいてきましたね…もうゴールデンウィークか…更新が滞っているのですが…(遠い目)

この曲も、「萌え出る春」のイメージがありませんか(特に第1楽章)?今日は、たまたまこの録音(マーラーだけ)のテープを見つけたので、久しぶりに聴いてみました。

Mahler: Symphony No. 1 / Brahms: Haydn Variations

Mahler: Symphony No. 1 / Brahms: Haydn Variations

  • アーティスト: Johannes Brahms, Gustav Mahler, Bruno Walter, New York Philharmonic
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 1998/06/16
  • メディア: CD

1954年の録音ですから、モノラルのライヴとはいえ、それほど音は悪くありません。亡くなる直前のコロンビア交響楽団との録音に比べると、10年も違わないのに、まったく違う演奏スタイルなのに驚きます。ワルターは最晩年のステレオ録音を聴くことが多かったからか、どちらかというとストイックな、極端な表現の少ない演奏、というイメージがあったのですが、この録音は、かなり起伏のある、劇的な演奏に仕上がっています。…と書いてきたところで、しばらくワルターの録音を聴いていないことに気がつきました。

ステレオ黎明期のコロンビア交響楽団との第1、第9、NYPとの「大地の歌」や「復活」、さかのぼって1950年代のNYPとのマーラー第5やVPOとの「大地の歌」、あるいは戦前のVPOとの第9(「復活」と「大地の歌」もありましたね)と、ワルターのマーラーはそれなりに聴いてきたつもりではありますが、どうも最近はとんとごぶさた。バーンスタイン、テンシュテット、アバド、小澤、等々、多くの指揮者が交響曲の全曲録音を果たし、またオーケストラコンサートのメイン・プログラムにしばしば登場するようになって、相対的に「ワルターのマーラー」の占める位置が、私の中で下がってきてしまったようです。

若いころ聴いた演奏・録音がイメージとしてのみ残り、「いまさら聴かんでもわかるわい」という意識につながっていたこともあるでしょう。特にLPやカセットテープでしか所持していない録音は、手軽に聴けなくなり、聴きなおすチャンスがいっそう減っています。自分の聴体験はだんだんそれなりに増えているわけで、それぞれの演奏が自分の中で占める意味も次第に変わっていっているはずなのですが、聴きなおさないと、ただの漠としたイメージのみでものを語ることになってしまいます。

もうひとつ、古い録音を買いなおす、より実際的な理由として、最近のリマスタリング技術の進歩があります。クラシックに限らず、霞がかかったような録音が、ノイズが取れ、バランスが向上することによって、かなり違った音となって聞こえることがあるようです。これがよいか悪いかはケース・バイ・ケースだと思いますが、トライしてみる価値は、少なくともCD化のはじまった80年代よりは高くなっているのでしょう。

このブログをはじめたことが、いくつかの昔入手した録音を聴きなおしたり、CDを買いなおしたりする機会となっています。拙文を読んでくださる方がいる、というのは、自分が書いたものの責任を感じることにつながりますから、あまり変なことは書けないわけで、多少は注意をするようになります。実は初めのころに書いた記事はちょこちょこ直しているのですが、古いエントリーを見てくださる方はそうそういらっしゃいません(^^; 自己満足でしかないのですが、まあこのブログ自体が自己満足のようなものなので…。

さて、今回はいつにも増して大きく話がそれてしまいました。肝心のワルター/NYPのマーラー第1ですが、全体に起伏の大きく、聴きやすい演奏だと思います。第1楽章の序奏もあまり遅くなく、ひとつひとつのエピソードが織り成す全体の流れが重視されているように思います。そのままの雰囲気で主部に入っていき、あとは全編、明るい春の喜びに満たされた演奏となります。コーダに向かってたたみかける勢いもかなりのもので、第1楽章が終わったところで思わず拍手が出てしまうのも納得です。

第2楽章も、第1楽章の勢いを引き継いだかのような勢いのよい主部で始まります。情緒纏綿という趣のトリオとよい対比になっています。このトリオなどを聴くと、マーラーが自作の演奏に関してワルターより信頼していたという、メンゲルベルクの第4の録音を思い出します。なお、コーダの直前でティンパニが入る部分が長く、マーラー協会版の下敷きとなったウニフェルザールのものとは異なる慣用版が用いられているようです。

第3楽章のベースのソロはちょっと心もとないですが、それがまた郷愁をそそる(?)ひなびた味を出している、と言ったら、ひいきの引き倒しになってしまうでしょうか。第3楽章の中間部とか、第4楽章の遅いところとか、テンポをゆらすワルターにNYPの弦がよくついていっています。これが当時の標準といってしまえばそれまで(まだマーラーはそれほどポピュラーではなかったはず)ですが、「古きよき」演奏スタイルがここにあると思います。

第4楽章の序奏から主題にかけては、基本的にかなり速いテンポながら、細かい「揺らし」が入っているところが、イン・テンポで攻めていく現代の指揮者と異なるアプローチになっていて、今となっては新鮮です。コーダに向けても、段階的にテンポを上げ、緊張感を高めていく手法が印象的で、一気に猛進していきます。

80-90年代に、演奏家の「恣意的な」解釈を排して作曲家の意図を尊重する行き方が一般的になり、作曲家の目指したものを再現する範囲で自分の意思を反映するのが、演奏家としての基本的な姿勢になってきたと思います。50年代の演奏はまだまだ演奏家優位で、作曲家の指示が無視されることも往々にしてあったようですが、それはそれで面白いものがあります。録音という形で両方のアプローチを楽しめるようになったわれわれが、いちばん幸せなのかもしれませんね。

なおワルターのマーラー第1の録音には、1939年のNBC交響楽団とのものもあるそうですが、未聴です。ユダヤ人としてナチから迫害を受けながらもヨーロッパになんとかとどまろうとしたワルターが、あきらめてアメリカに逃れてきた時の演奏は、どんなものだったのでしょうか。


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