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Britten/WarRequiem1 [声楽曲]

ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)は20世紀イギリスを代表する作曲家(ピアニスト、指揮者)です。若い頃から大いにその才能を示し、さまざまな分野で数々の傑作を残していますが、少なくとも代表作のひとつに、間違いなくこの曲があがるでしょう。心情的には、ベスト・ワンです。

ブリテン:戦争レクイエム

ブリテン:戦争レクイエム

  • アーティスト: カリ・レファース, ライプツィヒ放送合唱団, ドレスデン礼拝堂少年合唱団, テオ・アダム, アントニオー・ローデン, ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団, ハンスユルゲン・ショルツ, ブリテン, マンフレート・シェルツァー, ヘルベルト・ケーゲル, ライプツィヒ放送管弦楽団
  • 出版社/メーカー: 徳間ジャパンコミュニケーションズ
  • 発売日: 1999/05/26
  • メディア: CD

聴いたのはケーゲル盤。死の直前の1990年(ジャケットには1980年とありますが…)に行われたといわれている、ドレスデン・ルカ教会での録音です。日付はありませんが、1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、東独が西独に併合される前後の録音なのでしょう。

弾丸が並んだジャケットが印象的です。何も無ければ戦争/死の悲惨さを訴えていると普通に言えるのですが、指揮者がこの録音の直後にピストル自殺したということを知ると、あえてこのようなアートワークにしなくてもよかったのではないかと思ってしまいます。ひょっとしたらここまでケーゲルの遺言なのでしょうか?日本盤のオビには「喝采を浴びるより戦うほうを好んだ-ケーゲル自殺直前の芸術的遺言」と記されていますが、これはちょっと勇み足では…。

いつのまにか店頭から無くなってしまうドイツ・シャルプラッテンの1000円盤(2枚組なので2000円)なのでもう売っていないだろうと思ったら、アマゾンでも現役でした。しかしブリテン盤以外のラトル、マズア、ガーディナー、ショーなどの録音が、「戦争レクイエム」で検索した限りでは見つかりませんでした。

「戦争レクイエム」作品66は第二次大戦の空襲で瓦解したコヴェントリーの聖ミカエル(マイケル)聖堂の落成式のために委嘱され、4人の軍人の思い出に捧げられています。スコアの扉には、この曲でその詩が用いられている、第一次大戦で亡くなったイギリスの詩人ウィルフレッド・オーエン(1893-1918)の言葉が書かれています。

"My subject is War, and the pity of War. The Poetry is in the pity... All a poet can do today is warn."(私の主題は戦争であり、戦争の悲哀だ。この詩は悲哀の中にある…。こんにち、詩人が出来るすべては、警告である。)

初演は1962年5月30日、メリディス・デイヴィス指揮バーミンガム市交響楽団など(ブリテンは室内管弦楽団の指揮を担当)の演奏で行われています。初演時のソリストとして、ブリテンはロシアのガリーナ・ヴィシネフスカヤ、イギリスのピーター・ピアーズ(ブリテンの親友)、ドイツのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウを想定していたそうです。これは単に名歌手を集めたいということではなく、戦争で敵として戦った国々のソリストが一堂に会し、平和への祈りを歌うことを望んでいたということなのです。

実際にはヴィシネフスカヤが参加できず、イギリスの名ソプラノ、ヘザー・ハーパーが初演に参加しています。ヴィシネフスカヤ不参加の理由は、LPには「夫君ロストロポーヴィチの急病のため」とありますが、最近のCDには「ソヴィエト当局から許可が出なかった」と明確に書いてあります。情報統制とはこういうものだという一例ですね。

この曲は戦争に対するアンチテーゼ、平和への思いを表わす曲として、特異で膨大な編成や難しさもいとわず、(たぶん)全世界で、作曲者の生前から現在まで数多く取り上げられています。しかし録音を見ると「別格」ともいえる、カルショーがプロデュースした自作自演盤(1963年)があり、長らく、あえてこれを越えようとする録音は出てきませんでした。今でこそ多くの録音がありますが、確かブリテンが亡くなるまでこの曲のほかの録音は(少なくともスタジオ盤は)無かったと思います。この録音のとき、当初想定された3人の歌手がそろっています。

曲は、ラテン語のレクィエムの典礼文を軸としており、「レクィエム・エテルナム」「ディエス・イレ」「オフェルトリウム」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」「リベラ・メ」の6曲からなっています。演奏時間は85分(スコアの記載)、モーツァルトやヴェルディの作品と同様、「オフェルトリウム」の前で全曲の約半分の時間になります。「リベラ・メ」の最後に、フォーレが作曲している「イン・パラディスム」も歌われます。

「特異で膨大な編成」について補足しておきますと、演奏への参加者は3つのグループにわけられます。第1はラテン語の典礼文を歌う、混声合唱、ソプラノ・ソロと3管編成のオーケストラによる「儀式」のグループ、第2はラテン語の典礼の一部を歌う少年合唱と小オルガン(またはハーモニウム)による「天上」のグループ(「音が遠くにあるように」という意味のことがスコアに書かれています)、そして、オーエンの描いた戦争の世界=「人間」の世界を表わす、テナーとバリトンのソロと、1管編成(木管とホルン)、弦5部各1人とハープ、打楽器からなる室内オーケストラからなる第3のグループです。これら3つのグループは基本的に同じ音楽を奏でず、応唱のように交互に演奏します。

この曲は大曲ですし、私にとっても大事な曲ですので、少しずついろいろな演奏を聴きながらご紹介していきたいと思います。とびとびの記事になりますが、お付き合いいただければ幸いです。

さて、ケーゲルのこの演奏について検索すると、「死の影がさしている」「暗い」「厳しい」などの評があります。確かに全曲を通して遅めのテンポで、総じてスタッカートを長めに演奏(歌唱)しており、録音があまりクリアでないことも手伝って「明快」という感じはしませんが、ここまでおしなべて同じことを言われると、いささか辟易というか、その生き様と演奏をあまりに直結してしまうのもどうかと思ってしまいます。

とはいえ、他の録音はこの複雑な曲を解き明かすのに精力を使ったため(楽器の配置、音の分離、声部のバランス、…)、そのぶんフレージング、節回し、微妙な強弱や長短のニュアンスなど、音楽が訴える表情が、ともすれば平板であったかもしれません。そういった意味では、ブリテンの施した表情記号を越えて、自らの想いを刻み付けた(これも抽象的だな…人のこと言えませんね(^^;)録音と言えるでしょう。スコアを見ながら聴くと「あれ?」というところが何箇所かありますが、こういうところにケーゲルの意図がにじみでているのかな、と思います。

I Requiem aeternam
最初にテューバ、ティンパニ、ドラ、ピアノでAの音が響きます。たったこれだけの楽器なのですがハッとする、独特の音質です。直後にC#-Dの進行とEとGのトゥッティによる和音が重なると、音の間を埋めるようにF#の鐘が鳴り、ソプラノとテナーがF#で"Requiem aeternam"を歌いだします。トゥッティの進行(4+1の5連符で、3+1(普通の付点)より緊迫感、不安感をつのる)のあと、今度はCで鐘、バス、アルトと続きます。

リズムを維持して近接音程で動くオーケストラと、F#およびCの繰り返しで歌い続ける合唱とが何度か応答を繰り返して静まると、少年合唱が変拍子で"Te decet hymnus"を旋律的に歌います。少年合唱の終わりに鐘と混声合唱が重なって、ふたたび"Requiem aeternum"をひとしきり歌ったところで、室内オーケストラのせわしないハープと弦楽器に導かれて、テナーが歌いだします。

「家畜のように死ぬ者にふさわしい弔鐘(passing-bells)とは何だ?」という言葉で始まるオーエンの詩は、戦場の砲火・銃声の中で死んでいく兵士達やその弔い(「少女の吐息の青白さが、彼らの棺にかかる布なのだ」)を痛切に謳っています。一部に少年合唱の旋律が使われ、統一感を出していますが、曲想は対照的です。

ハープと弦が走り去るように消えるとCとF#の鐘が再び響き、アカペラの合唱が静かに"Kyrie eleison"をコラール風に歌い、2回C-F#に解決しますが、3回目にF-A-C(ヘ長調=平和の調)に転じて曲を閉じます。この転調(F#の増4度からFの3和音へ)が平和を祈り求めるブリテンの想いを表わしているのでしょう。

もう少し書きたかったのですが、3月に入ってからSo-net blogの調子が悪く、何度も更新に失敗しています。今回もうまくいくかどうかわかりませんが、ここでupします。次回は30分あまりかかる最大の楽章、「ディエス・イレ」です。


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