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Brahms/DeutschesRequiem [声楽曲]

合唱を多少かじったせいで、ブラームスの大規模な曲で最初になじんだのが「ドイツ・レクィエム」でした。LPしかなかった当時のスタンダード盤は、カラヤンのEMI盤であったと記憶しています。私はまずワルターのモノラル盤(1枚1300円だったので…)で親しみ、1983年の生誕150年を記念してDGから発売された「ブラームス大全集」の第8巻「合唱曲」のシノーポリ/チェコフィルを聴いていました。現在の愛聴CDはこれです(例によってリンクは国内盤ですが、聴いているのは輸入盤です)。

ブラームス:ドイツ・レクイエム

ブラームス:ドイツ・レクイエム

  • アーティスト: ジュリーニ(カルロ・マリア), ボニー(バーバラ), シュミット(アンドレアス), ウィーン国立歌劇場合唱団, ハーゲン=グロル(ヴァルター), ショルツ(ルドルフ), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ブラームス
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 2005/09/07
  • メディア: CD

今年ジュリーニが亡くなって追悼盤が多く出てきましたが、いずれ劣らぬ名盤ぞろいです。片っ端から買っても決して損ではないと思います。最近CDはすぐ廃盤になってしまうので、興味を持った方はお早めに…。

ライヴ録音ということですが、音質はスタジオなみ、冒頭がきちんとppで聴こえる音量で聴き始めると、よほど大きい音が出せる環境でないと、あとで破綻します。車なんか最悪です…。

通常の「レクィエム」がラテン語の典礼文に曲をつけているのと異なり、この曲はルターの書いた聖書のドイツ語訳をブラームス自身が編集して歌詞にしています。だから本来の曲名は「ドイツ語(の)レクィエム」だ、とも「ドイツ人のレクィエム」とも言われています。

第1楽章冒頭の「悲しんでいる者は、幸いである」に象徴されるように、歌詞は死の悲しみ、死者への哀悼より、残されたものの心の慰めが主な内容になってます。ブラームスは敬虔な信者ではなかったといわれますが、彼の編んだ歌詞を読むと明らかに全体を貫く思想があり、彼の人生観、宗教観を垣間見ることができます。言葉を意識して聴くと、音楽のすばらしさがいっそう感じられると思います。

編成は拡大2管の管楽器(ホルン4本、ピッコロ、テューバあり)にティンパニ、ハープ(できれば2台)、弦5部と混声合唱、ソプラノ(第5楽章)とバリトン(第3、6楽章)のソロ。演奏時間も約70分で、ブラームスの作品としては最大規模に属します。

第1楽章はひそやかなFのオスティナートから始まります。クラリネット、トランペット、ヴァイオリンがまったく使われていないので、全体的に暗めの響きですが、ハープが天上の雰囲気を醸し出しています。

第2楽章もppの、b-mollの悲痛な響きから始まります。このppの木管の旋律にはピッコロが入り、2拍目に入る合いの手はホルン、トランペット、ハープが組になっているなど、かなり凝ったオーケストレイションになっています。この楽章の後半は輝かしいB-durになるのですが、そこではもうピッコロ、ハープは出番がありません。ハープはこのあと最終楽章の最後に9小節弾くだけなのです。

第3楽章はバリトンのソロ、a-mollで切々と歌うのがたまりません。アリアのように朗々と歌い続けるのでなく、合唱とのアンサンブルが中心になるのが、ブラームスらしいです。次第に盛り上がり、合唱の上昇音形、トランペットのファンファーレに続いて、全曲中の白眉、Dの保持音の上に繰り広げられるフーガ。延々と続いているはずなのにあっという間に終わってしまう。いつ聴いても泣けます。

第4楽章と第5楽章は、2管(ホルンまで)と弦だけの間奏曲的な曲想。北ドイツの、いかついひげもじゃの男がどうしてこんな優美な曲をかけるのだろうと思って歌詞カードを見たら、総髪のひげの無い好青年がいました。この曲の全曲初演のときブラームスは36歳、まだまだ若かったのですね。

第5楽章冒頭の弦楽合奏を聴くと、「ああブラームスって、やっぱり響き」と思ってしまいます。美しい旋律も多いのですが、ブラームスの真骨頂は哀愁を帯びた和声進行だと思います。ブラームスはいつも出番を極力絞ったオーケストレイションをします(第1交響曲のトロンボーンが有名)が、1時間あまりの中で、美しいソプラノ・ソロがこの楽章だけ、というのは、やはりもったいないですね。もっとききたいよう。

第6楽章は後半の中心的な楽章。バリトンのソロ、劇的な展開、最後の4/2拍子のフーガなど、形式は第3楽章とよく似ています。ヴィヴァーチェ、c-moll、3/4拍子の部分は、全曲中で唯一といっていい早いテンポで、堂々としたフーガを導いてくれます。

第7楽章は第1楽章のリフレクション、F-durで、歌詞の最初も"Selig sind"ですし、最後はハープで静かに終わります。"Selig"というのは、宗教的な「至福の」とか「天上の」とかいう意味だそうです。ブラームスの"Selig"が、静謐なF-dur(「田園」の調)に象徴されているのですね。

ジュリーニだから、もっと、もっと遅いと思って身構えて聴いたせいか、思いのほか音楽は流れています。むろん響きは大事にしています(旋律的な音の動きに引っ張られず、音価を守っています)。どこを聴いても、ジュリーニの朴訥な指揮が目に浮かぶようです。この曲をベルリン・フィルでなくウィーン・フィルと録音したのは、あまり輝かしすぎない音色にしたかったからでしょうか。

ところで、「5大レクィエム」という言い方は一般的なのでしょうか?「1」ならモーツァルト、「3」なら加えてフォーレとヴェルディ、で、次に入ってくるのがベルリオーズとブラームス。このあたりまでは(好き嫌いは別にして)それほど異論はないのではないでしょうか。ベートーヴェンやシューベルトが書いていたら、かなりようすが違っていたかもしれませんね。

他にざっと思い出すのは、ケルビーニの2曲(混声、男声)、ドヴォルザーク、シューマン、ブルックナー(聴いたこと無いです…)、フランスではサン=サーンス、デュリュフレ、20世紀ではストラヴィンスキー(レクィエム・カンティクルス)、ブリテン(戦争レクィエム=ジュリーニが初演しました)、日本では三善晃、などなど。

こうしてみると数多くのレクィエムが作られ、残っています。作曲経緯を見ると、やはり近親者など印象に残る人(人々)の死に接したことがきっかけで作られることが多いようです。ブラームスのこの曲も、作曲のきっかけはシューマンの死、そして母の死によって完成に至ったといわれています。

と言うのは簡単ですが、愛する、しかし失われてしまった人たちへの想いをこのような形で表すことができるというのは、ものすごくエネルギーを必要とすることだと思います。作曲家というのは、本当に選ばれた人たちなのですね。

TBは「ジュリーニ ドイツ・レクイエム」でググったら一番に出てきたおさかな♪さんに敬意を表して。「パンドラの匣」みたいな…。


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コメント 2

おさかな♪

TBをありがとうございます♪ f(^-^;)
中学・高校で聖歌を沢山歌ったので、合唱って大好きです☆
今の時期にラジオでクリスマスのバロック曲がかかると懐かしいです。
レクイエム、いつかオケで演奏したいナ。
大合唱(?)と言えば、トスカ1幕のラストのテ・デウムがすごく好きです^^。
by おさかな♪ (2005-12-23 06:57) 

stbh

聖歌といい、第九といい、この時期になると人は歌いたくなるのでしょうか。合唱といっしょにやると、ゲネプロあたりからは指揮者がオーケストラにかまってくれなくなるので大変です。ぜひご体験を(^^; プッチーニの宗教曲もそのうち紹介します。
by stbh (2005-12-24 01:18) 

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