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Mahler/Sym8 [交響曲(マーラー)]

この人もどうやら活動を再開するようです。よかったですね。

マーラー:交響曲第8番

マーラー:交響曲第8番

  • アーティスト: 小澤征爾, ロビンソン(フェイ), ブレゲン(ジュディス), サッソン(デボラ), クイヴァー(フローレンス), マイヤース(ローナ), リーゲル(ケネス), ラクソン(ベンジャミン), ハウエル(グウィン), タングルウッド祝祭合唱団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: CD

この録音は1980年、BSO定期でこの曲を取り上げた直後に行われたそうです。フィリップスでのマーラー全曲録音の、まだはじめのほうだったのではないでしょうか。数年前には「グレの歌」も録音していますし、小澤の「複雑な曲をすっきりまとめる手腕」はすでに十分知られているところだったでしょう。オーケストラ、合唱、独唱とも突出して「すごい」ところはありませんが、バランスのとれた好演だと思います。

ちょうどデジタル録音の走りの時期ですね。音場作りは試行錯誤中なのか、デジタルにしては分離というか、粒立ちがいまひとつのように感じられます。しかし翌年に録音された「英雄の生涯」はけっこうメリハリが効いていましたから、ここでは特にマス的というか、カタマリの音場を志向していたのでしょうか。ひょっとしたら、レコーディング・スタッフが「デジタルの音作り」に慣れていく途上だったのかもしれません。

第1楽章冒頭、"Veni,"は二分音符-四分音符なのですが、後ろの音節が長く、同じくらいに聞こえます。合唱は全体にソステヌート気味でちょっとねばっとした感じがします。第1楽章のソナタ形式は大規模すぎて、繊細な表情はつけにくいので、小細工で無理に細かいところを強調せず、ある程度、勢いで持っていってほしいと思うところです。小澤の解釈は、例によってところどころ速めのテンポに違和感がありますが、全体としてはまとまっていて聞きやすいと思います。

第2楽章の最初の次第に高まる弦の音色はBSOならではですね。こちらは形式的にあまり緊密ではないので、第1楽章と共有の音形やパッセージを多くすることで、構成の統一感を保っています。むろん合唱・独唱が活躍しますが、ハープやチェレスタ、マンドリンが目立つ繊細な響きの部分も思いのほか多いのです。この録音は、そういった繊細な部分の表現が美しいと思います。

このころは小澤がボストンにかなりウェイトをかけていた時期で、それだけ演奏も充実していたような気がします。テレビ番組で小澤を見て、「(オーケストラの)音楽監督はただの指揮者とぜんぜん違って大変」という認識を持ったのがこのころでした。90年代ころから彼の心はだんだんヨーロッパに向かっていくのですが、今にして思えばこの時期、カラヤン、バーンスタインが亡くなって、その穴を埋めるべく、ヨーロッパ、特にウィーンへの足がかりを作っていったのでしょう。

話を曲に戻します。合唱は出突っ張りで大変ですが、歌い甲斐があるでしょう。まちがいなくこの曲の主役だと思います。いっぽう独唱は第1部の負荷がかなり高い反面、第2部では交代で歌うので休みが多く、最後の「神秘の合唱」で合唱・少年合唱とともに初めて揃い踏みとなります。

さて、例によって話はだんだん枝葉末節に(^^; ソプラノによる「栄光の聖母」のパートは、CDなどでは「ソプラノIII」と付記されています(実は音友の国内スコアの日本語のページも)が、実はそんなパートは無いのです。第1楽章でも、最後の「揃い踏み」でも、ソプラノは2人です。

「復活」で合唱と独唱が重なるとき、「ソリストは歌い惜しみするな」という注釈まで書いたマーラーが、2000小節を超えるこの曲でたった25小節しか歌わない、クライマックスで黙っているソリストをわざわざ設定したのは、それだけこの役柄-「Komm!(来たれ!≒第1楽章のVeni!)」と呼びかける-を特別視、重要視したからでしょう。天から呼びかけるので、最後の合唱とも一線を画している(混ざらない)と考えられます(演奏会では、他のソリストたちと離れた、別の場所で歌うこともあるようです)。

この曲はマーラーが自分で演奏した最後の曲です(初演時の伝説はあちこちのサイトにありますのでそちらをご参照ください)。したがって、スコアに細かい、実用的な注釈がついています。なかでも独唱の音域が苦しいときに、高い音を使わないように音形を変える指示が多く、マーラーの苦労が偲ばれます。

アルトの独唱で1箇所、この曲の特徴である7度の上行跳躍がかなり高い音になってしまうので、2度の下行音程に変えてあるところがあるのですが、ここはさすがに「止むを得ない場合のみ」と、他のところには無い注を付けています。作曲上はどうしても譲れないところだと思うのですが、それでも先進の作曲家マーラーより、19世紀の指揮者マーラーが出てきてしまうのですね。

そういった意味では、例えば第9交響曲など、もっと「実際的な」譜面になる可能性もあった、ということです。図らずもマーラーが第9交響曲の初演前に亡くなったことで、第9交響曲の前衛性が、いっそう際立ったのかもしれません。

第9交響曲を予感させるような書き方になってしまいましたが、次のマーラーは「大地の歌」の予定です(^^;


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mozart1889

これは懐かしい演奏です。デジタルの走りで、録音も、当時の「千人」としては良かったんじゃないかと記憶しています。他にまともな録音の「千人」はショルティ盤しかなかったですから。
ボクはこの頃の小沢が好きです。「千人」の他にも、英雄の生涯やツァラ、惑星に春の祭典・・・・次々に大オーケストラ曲を振って、しかも見事な出来栄えでした。あ、「グレの歌」もありましたね・・・・・。
このマーラーも素晴らしかったですし、どれも意欲に溢れて生き生き爽やかな演奏でした。ボクは好きだったです。
by mozart1889 (2006-07-08 06:23) 

stbh

mozart1889さん、おはようございます。コメントをありがとうございます。
個人的にはまだショルティ盤の呪縛から逃れていないのですが(^^;、おっしゃるとおり、当時、久々の「千人」の新譜でしたね。いまやもう、テンシュテット、シノーポリ、アバド、インバル、ベルティーニなど全集になっているものだけでもかなりのチョイスが可能になりました。この四半世紀でマーラーの録音状況は大きく変わりましたね。
この時期、小澤=BSOは矢継ぎ早に大曲の新譜を出してきました。他の指揮者、オーケストラも似たようなもので、「デジタル・バブル」とでもいうような現象だったのかもしれません。小澤の諸録音、押しなべて「あっさりしすぎ」的な論評が多かったように記憶していますが、この「千人」やシュトラウスなどは、はっきりしたテンポ設定や明快なリズムでわかりやすく聴けました。
解釈や出てくる音楽の好き嫌いはあると思いますが、小澤はいつでも意欲的に音楽を作り、音楽については妥協をしない人だと思います。
by stbh (2006-07-08 09:17) 

サンフランシスコ人

小澤征爾のボストンでの日本語インタビュー

http://www.yomitime.com/celeb/102_ozawa.html
by サンフランシスコ人 (2008-12-08 04:50) 

stbh

古いエントリーにまでコメント、ありがとうございます。
すっかり元気になったようですね。この時期、出張がてら何度かシンフォニーに行っているので、なつかしいです。
しかし、「ルドルフ・サーキン」とは…。誰のことか一瞬わかりませんでした(苦笑)
by stbh (2008-12-08 07:03) 

サンフランシスコ人

昨日、メトロポリタン歌劇場からのFM生中継で、小澤征爾のチャイコフスキーの放送がありました。

by サンフランシスコ人 (2008-12-15 03:53) 

stbh

メトロポリタン、懐かしいです。小澤はボストンとタングルウッドで聴いただけですが…。
by stbh (2008-12-17 22:21) 

サンフランシスコ人

カーネギーホールは、12月と来年3~4月、小澤征爾を芸術監督とする音楽祭「ジャパンNYC」を開催すると発表しました。

http://www.carnegiehall.org/article/box_office/series/brochure/ser_697.html
by サンフランシスコ人 (2010-02-07 03:36) 

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