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Bruckner/Sym7 [交響曲(独墺系)]

昨日は出勤でした。このところ、どうもブルックナーづいてしまって、連続になってしまっています。アマゾンには無かったので、HMVのページをリンクしておきます。

http://www.hmv.co.jp/Product/detail.asp?sku=1776815

ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調
指揮:ロヴロ・フォン・マタチッチ
NHK交響楽団
1969年5月9日 東京厚生年金会館大ホールにおけるライヴ録音

また、「未完成」の項で紹介した「音楽の壺」のページに、ブルックナーに関する詳しい情報が整理されていますので、再度ご紹介させていただきます。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

しばらく前に書いた第4番にまつわる記事もこちらを参考に修正しました。

ブルックナーの第7交響曲において、2つの原典版、ハース版とノーヴァク版のいちばん大きな差は第2楽章のクライマックスに打楽器(ティンパニ、シンバル、トライアングル)にあるのですが、実はそのほかにも第1楽章を中心に、対旋律の有無やオーケストレイションなど、実際に出すべき音の相違がいろいろあります。速さや表情の指示は、第4楽章を中心にノーヴァク版のほうが多くなっています。

ノーヴァクの校訂に用いられた自筆譜にはブルックナーのもの、他の人のものあわせていろいろ書き込みがあり、欄外に追加された第2楽章の打楽器を取り消す「Gilt nicht無効」の文字をブルックナーのものとするか他の人のものとするか(ノーヴァクはこちらの主張)の見解は統一されていないようです。校訂者の「判断」か「恣意」かという問題は、マーラー第6交響曲の楽章順のように時として演奏史に大きな影響をおよぼすものですね。

したがって「打楽器が入ったからノーヴァク版」というほど簡単ではなさそうで、「ハース版」と銘打って打楽器が入っている演奏・録音もあれば、入っていないノーヴァク版もあるようです。この演奏は打楽器が入っており、テンポなどから想像するといわゆる「初版(最初に出版された、自筆譜に必ずしも基づいていない版)」のようです。なお、CDに版の表記はありません。チェコ・フィルと入れたスタジオ録音にもありません。まぁ、通常、特にこの時代なら、演奏するほうにとっては、ある楽譜で最良の音楽をやるだけ、ということだと思います。

ちょっと話が脱線しますが、マタチッチのスタジオ録音のレコードを見ると、版権は1967年なのに「1968年録音」と書かれています(実は1966年らしい)。昔のレコードはある時代の、文字通り「記録」で貴重なものですが、データや情報はあまり正確でないことがままあるようです。

さて、この曲は1885年に初演され大成功となったそうですが、ここまでブルックナーのたどった道のりは険しいものでした。1877年の、自らが指揮した第3番第2稿初演は大不評、1881年の第4番初演も大きな話題にならず、難解な第5番は自分で譜面をしまいこんでしまい、第6番も結局、生前に全曲は演奏されませんでした(没後の1899年にマーラーが初演しています)。ということは、ろくに顧みられることも無く(というと言い過ぎかもしれませんが)、演奏される当ても無い第5、第6の譜面を抱えたまま、失意のうちにこの曲を書いたことになります。

それにしては、何と輝かしい曲でしょう!第4以来の、そして最後の長調交響曲であるこの曲は、第1楽章冒頭のホルンとチェロの主題から、広々とした青空を悠々と飛んでいく大鳥を見るような、明るく、拡がりのある音楽が展開されます。第1楽章開始しばらくして、低弦のFisのオスティナートの上に管楽器が次第に重なっていく部分など、ぞくぞくしますし、何と言ってもコーダ!初めて聴いたとき、手放しで感動してしまったことを覚えています。泣けました。

この楽章ではティンパニはコーダ直前に初めて入ってきて、低いEのロールのままクレッシェンド-ディミニュエンドしてppでコーダに突入、最後のfffまでオーケストラとともにクレッシェンドしきるのですが、当時のN響はドイツの古く重いティンパニを使っていて、このティンパニの轟音に乗って、N響がフルパワーでがんばっています。

第2楽章は、初めてワグナー・テューバが使われた楽章として、またなによりコーダがワーグナーの死を悼む音楽であることで有名です。ワグナー・テューバというのは鳴らしにくい楽器で、そうそうワーグナーの楽劇やブルックナーを演奏する機会の無かったであろう当時のN響のメンバーは大変だったのではないでしょうか。マタチッチの息の長い音楽に、失礼ながら必死でくらいついているのかもしれないと思いつつも、音を聴いていると思わず引きずり込まれてしまっています。

第3楽章は単純な旋律とリズムの重層的な積み重ねなので、親しみやすいがあまり深くない印象を持ちがちです。しかし音の強弱やレガート/スタッカートの区別はかなり細かく指定されており、がっちりしたアンサンブルが求められます。

曲は、第4楽章で再び明るいホ長調に帰ってきます。この曲の中で弱い楽章、といわれていますが、前半2楽章よりさらにへヴィーな音楽よりは、第1楽章の回想のような、それなりの終結感のある音楽をブルックナーが作ってくれたことで、この曲がよりいっそう親しみやすいものとなっていると思います。当時のN響の金管も最後の力を振り絞ってマタチッチの鼓舞に応えているようです。ブラヴォー!

えー、この曲を聴くときはどうも、いつにも増して単純な感情(感動)に流されがちです(汗)。第8、第9のほうが作品として「深い」とは思いますが、「体で聴く」には第4やこの曲がありがたいですね。やはり、「元気がほしいとき」の一曲です。 

この演奏が録音されたのは1969年ですし、セッションでなくライヴですから、さすがに録音はベストの状態ではありませんが、豊かな弦の音やワグナー・テューバの音色はよくとらえられていると思います。ジャケット写真は「吼える(ような)」マタチッチ、普通のネクタイをしているところを見ると、どうやらマチネー(昼興行)でのライヴ録音のようです。まだNHKホールが出来る前、音楽界にとっても高度成長期の貴重な記録です。


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コメント 2

mozart1889

TBありがとうございました。
マタチッチのブルックナー7番、大変気に入りました。
N響とのブル8は聴いたことがないのですが、世評高いですね。
是非聴いてみたいと思います。
by mozart1889 (2005-09-24 15:04) 

stbh

mozart1889さん、こちらもTBありがとうございます。マタチッチのブル8もだんだん品薄のようです。見つけたら即ゲットをお勧めします。
by stbh (2005-09-25 00:21) 

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