SSブログ

Shostakovich/Sym15 [交響曲(独墺以外)]

今日は、実は「出張の新幹線で聞く音楽」なのですが、まあご勘弁。

ショスタコーヴィチの最後の交響曲です。この曲は原点回帰というか、第1交響曲に非常に似た、室内楽的な雰囲気を持っていますよね。第1番やこの曲を聴くと、彼はやはり、本質的にピアノの作曲家だったのではないかという気になります。金属質打楽器(鉄琴、チェレスタ、トライアングル)の偏愛、シューマンの交響曲を思い起こさせる十六分音符ばりばりのスケルツォ、消え行く和音、明快な旋律線と和声など、それらしい特徴は枚挙に暇がありません。

ショスタコーヴィチの交響曲は、中央の第8番を中心に大アーチ構造をなしているといったら言いすぎでしょうか。でも、明らかに第15番は第1番を意識して、自分の音楽的語法の変化(進歩)を一見、同じような形式に持ち込もうとしていると感じられます。いっぽう、この曲には死期を感じていると思わせる透明感があります。彼の交響曲は大編成の割にはすっきりしている(複雑な和声や対位法を多用していない)のですが、この曲ではいっそう、少ない楽器を用いて静謐な響きを作ろうとしているように感じます。打楽器の多用も、中期の交響曲のようにクライマックスを築き上げるためではなく、「シンプル&クリーン」なサウンドの一員(というか立役者)として機能しています。この曲に比較すると、たとえば第9番なども十分にシンフォニック(音が多く、響きあう(「交響」的)であると言えると思います。

持っているショスタコのCDは全集(これ↓)です。

Shostakovich;Symphonies

Shostakovich;Symphonies

  • アーティスト: Ortrun Wenkel
  • 出版社/メーカー: Decca
  • 発売日: 1995/05/09
  • メディア: CD

むろん参加アーティストはOrtrun Wenkel だけではなくて(笑)、指揮者はハイティンク、オーケストラはロンドン交響楽団、ロンドン・フィル、コンセルトヘボウの3団体です。15番はLPO、比較的初期のアナログ録音です。 ハイティンクは、大きい曲を片っ端からフィリップスに録音している時期がありました(1970年前後?)。ブルックナーとか、極端な言い方をすれば、何も感ずるところのない、どうでもいい演奏であったと記憶しています。しかし、このショスタコヴィチとは彼のてらいの無さ、そっけなさ、ある種の冷たさと相性が良いような気がします。好みや考え方の違いはあると思いますが、全容を素直に(指揮者の強い意志よりは、作曲者の意図を重視したい、という意味で)聞くのにはよいCDではないか(他の演奏を、比較する意図で聴いたことはあまり無いので断言はできませんが)と感じています。

この曲の原体験は、大学オケの先輩の下宿で、「ウィリアムテルが出てくるんよ~」と京都弁丸出しの先輩が教えてくれた、息子マキシムが指揮した録音です。ウィリアム・テルのところでは、「少年時代の追憶」という意味も知らず、ただ笑い転げていたことが懐かしいです。

実は、車で聴くとかすかな音や音色が聞こえない懸念があったので、新幹線のときを選んでヘッドフォンで聴いたのですが、新幹線もうるさいことはやはりうるさいですね。深夜に一人、かすかな空気の揺れを感じながら聞くのがお勧めです。車の中で取り上げる曲がどうしてもオーケストラ中心になるのも、私のオーケストラ偏愛のみならず、ディテイルが聞こえなくてもそれなりになんとかなるという理由があると思います。

(例によって、というかいつも以上に、よっぱらって意味不明の文章が多かったので、しばらく公開を中止し、改訂しました。JRの大事故に言及しかかった部分は、明言はしていませんでしたが「時事問題を扱わない」という心の内規にひっかかるので、削除しました。失礼致しました。)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

Beethoven/Sym4,7Debussy/Images3 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。