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Schubert/Great [交響曲(独墺系)]

なんでシューベルトの作品が、英語で「グレート」(あるいは「ザ・グレート」)と呼び習わされているのかはわかりませんが、ドイツ語では"Grosse C-dur"という呼び方ですから、もともとはD589(第6番「小ハ長調」)に対して「大ハ長調」という意味なのでしょう。

しかし、「未完成」と並んで初期6曲とは明らかに違う規模で、その大規模の中では完結した唯一の交響曲であり、シューマンの手稿発見と「天国的に長い…」のキャッチフレーズ、この曲を作曲した後「これからは交響曲(と歌劇?)を創作の中心にする」と友人に言った(手紙に書いた?)とかいう伝説、等々もあって、まさに「偉大な」と呼ばれるにふさわしい曲ではあります。

今回聴いた演奏は、アーノンクール/RCOの1992年録音。全集の一部が廉価版で発売されているものです。

Schubert: Symphony No.9

Schubert: Symphony No.9

  • アーティスト: Franz Schubert, Felix Mendelssohn, Nikolaus Harnoncourt, Amsterdam Concertgebouw Orchestra, Berlin Philharmonic Orchestra
  • 出版社/メーカー: Elatus
  • 発売日: 2002/11/18
  • メディア: CD
上のリンクだとよくわかりませんが、メンデルスゾーンの「美しいメルジーネ」序曲がカップリングされています。こちらは1995年、BPOとのライヴ録音。もともとシューマンとシューベルトの交響曲第4番とカップリングされていたようです。この曲は勉強不足なのでいずれそのうち(汗)。

近年、シューベルト交響曲の研究が進み、ベーレンライター、ブライトコプフなどの出版社から新訂版が発刊されています。これらに基づいた演奏も次々出てきていますが、この演奏はどうなのでしょうか?上記CD(独盤)の英語解説には、「ブラームスが初めて編纂した全集が今も使われることが多い」と書かれており、傍証ですが新版にはよっていないようです。ただし、全集では「第8番」と表記されているようですが(↓こちら参照)、このCDは「第9番」ですので、解説もあまり当てにならないかもしれません。繰り返しはスケルツォの2回目を除いて、すなわち全部行われています。(Da Capoの後の繰り返しは行わないのがデフォルトでしたよね、たしか(^^;)

http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/sym/schubert9-org.htm

旧来の(「巨匠時代の」という言い方があるらしい。ここ数年で「最後の巨匠」がたくさん亡くなっているから、たしかに「巨匠の時代」は本当に終焉を迎えているかも)演奏では、楽譜の冒頭が4/4拍子、Andanteであることからゆったりとしたホルンのユニゾンで始まり、主部のAllegroに向けて譜面にはないアッチェレランドを行う演奏が多かったが、この録音は速いテンポで開始されて、あまり大きなテンポの変化なく主部に入っている。どうやら手稿は2/2であったようで、近年、序奏は早く奏される傾向にあるようだ。ゆっくりの演奏もしみじみ出来ていいんだけどね。コーダのCon Motoからテンポはいっそう速くなり、序奏のテーマが再帰するところも当然落とさず、勢いよく演奏される。

第2楽章もAndante con motoの表記どおり、全編、躍動感を持って演奏されている。悲壮感はあまり漂わないが、「いかにも緩徐楽章」という感じでないのがベートーヴェンの第7交響曲に似ている。とはいえ、シューベルトのうたごころ満載の佳曲ではある。

第3楽章は、繰り返すと長い長い。さすがに一定のテンポで通すには一本調子過ぎるとアーノンクールは思ったのか、トリオ冒頭と最後近くの、Eの連続する四分音符で例外的に楽譜にないリタルダンドを行っている。全体的に流麗な雰囲気は他の楽章同様で、美しいのだが、1点、スケルツォ1回目の繰り返しを行って戻ったところのAs-durの和音の冒頭が編集ミスで切れている。クライバーのベートーヴェン第5ほどひどくはないが、アバド/シカゴの「復活」終楽章とどっこいの情けなさ。編集しているからには、いつも完璧とはいかないのであろうが、もう少し気を使ってくれないですかねえ。

第4楽章も繰り返しあり。全1150小節程度のうち400小節近い分を繰り返すのだから、そりゃあ長いわいなあ。でも、メリハリの効いた、快適なテンポのおかげであまり退屈さは感じない。最後の和音がディミニエンドなのは「巨匠風」の逆をあえて行ったのかもしれないが、ディミニエンドしない新版に基づく録音がいくつも出てしまっている現在、「古楽風」とも言いにくくなってしまってちょっとかわいそう。全体を通してすっきり流れているが響きを犠牲にすることはなく、現代的な(今となってはやや地味な)解釈と思う。

この交響曲が、やはり古典に属すると感じるのは、fffが非常に限定されて使われていることである。ffからクレッシェンドするのは何箇所かあるが、「fff」表記が出てくるのは第1楽章でCon motoの直前(555小節)、第2楽章は248小節のクライマックス、第4楽章は提示部の最後と再現部の対応するところ+コーダの2回、以上わずかに計6回である。「最強奏を上回る強奏」に慎重なのはベートーヴェンなみといえるだろう。

トロンボーン3本は大活躍だが、ホルン2本、トランペット2本の編成である。大編成のオーケストラで演奏するとしても、ブルックナーのように咆哮する、あるいは重々しい演奏はこの曲には向かない。アーノンクールの解釈は、sfの強調は多少あるが、あまりヒステリックな「古楽風」でもなく、現代オーケストラを必要十分に鳴らすことを目指していると感じ、共感を覚える。アーノンクールがあえて音の豊かなRCOを録音のパートナーにしたのも、「古楽の」というレッテルから飛躍しようとする意思表示だったのではないだろうか。


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コメント 4

mozart1889

シューベルトの「グレート」大好き人間です。
好きなので、ついつい買ってしまいます(^^ゞ
で、例の第1楽章のアッチェランド、殆どの指揮者が実行してます。楽譜を持っていないんですが、本当はアッチェランドとは書かれてはいないと、何かの本で読んだことがあります。ホンマでしょうか。
アッチェランドしていないのが、唯一ジュリーニの新旧両盤です。シカゴ響とのDG盤、バイエルン放送響とのCBSソニー盤とも、していませんでした。
by mozart1889 (2005-09-06 07:53) 

stbh

mozart1889さん、台風は大丈夫でしょうか。今年は多いですね。どうぞお気をつけて。
さて「グレート」、本当に速度標語は少ないのです。どの楽章にも、アッチェレランドやリタルダンドがありません(旧全集版です)。AndanteやAllegro vivaceなどの速さの指定以外には、第2楽章の最後の主題(イ長調からイ短調に戻る)のところになぜかa tempoと書いてあるだけ。楽章の途中でテンポ指定が変わるのも第1楽章(序奏Andante-主部Allegro ma non troppo-コーダCon moto)だけですから、楽譜どおりに演奏しようとすると「ぱきっ」とテンポが変わることになります。
旧版では序奏は4/4、主部は2/2ですから、スムーズにつながるように演奏しても「テンポは倍だよ」ということなら成立します。「序奏をゆっくり演奏する」というのは、近代の慣行なのでしょう。多分に慣らされてしまっている面はありますが。
by stbh (2005-09-07 00:01) 

しぶい曲を取り上げられますね。隠れた名曲と私は呼んでいます。。。
アーノンクールは1楽章の序奏で早めにやるんですか。確かにあまりアンダンテを意識しなければそれはアリかもしれませんね。
アッチェルは序奏をアンダンテでやれば必然的な気はします。しかし楽譜がシューベルトの研究に追いついていないことは奏者としてつらいですね。
by (2005-09-07 22:52) 

stbh

浦島くん さんコメントありがとうございます。第1楽章、手稿や新版は冒頭から2/2なので、主部Allegroの二分音符が序奏Andanteの四分音符と同じと考えればそのままなだれ込めるというしかけのようです。序奏が4/4、Andante(という譜面)だからaccelerandoを補う必要があったわけですね。これから新版が普及すれば、遅い序奏は過去のものになるのでしょうか。
by stbh (2005-09-08 01:06) 

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