Tchaikovsky/Sym5 [交響曲(独墺以外)]
明けましておめでとうございます(いささか遅くなりましたが)。本年も何卒よろしくお願いいたします。
さて、新年第1回目は、やはり長年聴きなれた曲からはじめたいと思います。自分で聴きなれたものではありますが、この曲のベストの録音のひとつだと思います。
この5番を含む、1971年のEMIでの後期交響曲集は、カラヤンの数あるチャイコフスキーの録音の中でも、もっとも気持ちよく聴けると思います。中でもこの第5は、要所要所のテンポやダイナミクス、細かい微妙な表情などのひとつひとつが決まっていて、ずさんな表現で恐縮ですが、
Berlioz/Fantastique [交響曲(独墺以外)]
今日は近所のCD屋でバーゲンをしていたので買ったCDの紹介です。3~4枚あったと思ったのですが、3日後には無くなっていました。ラッキー。
通俗名曲、というと言い過ぎだが、かなり人口に膾炙している曲。「標題音楽の走り」としてストーリーにしたがって書かれた曲。「第九」のたった8年後に作曲されたにもかかわらず、主題の扱い、曲の構成、オーケストレイション、長さなど何をとっても古典派と全く相容れない曲。などなど、「幻想」を表現するのに使われる辞句はいろいろですが、古典派からロマン派へ移行する道標となる名曲ではあります。ストーリーのわかりやすさ・とっつきやすさや羊飼い、雷鳴、断頭台、魔女の饗宴などの描写の親しみやすさから、クラシックを聞き始めたらかならず聴くであろう曲だと思います。
でも、全曲聴こうとすると、ちょっと退屈なイメージを持ってらっしゃる方、いませんか?第4、第5楽章しか聴かない(ときどき第2楽章も聴くくらい)とか、演奏会に行って第3楽章でねちゃった(第4楽章のffで目がさめた)とか、第5楽章は途中で飽きて聴くのをやめちゃう、とか。
この録音は、そういう方にぜひお勧め。この曲に対する見方が変わります。「幻想」ってこんなに(隅から隅まで)面白かったんだ!と思えること請け合い。アマゾンでは出てこなかったので、
Saint-Seans/Sym3 [交響曲(独墺以外)]
夏バテのせいか、どうにも調子が上がらない。朝、スパッと起きられない、仕事中も集中力に欠ける、踏ん張りが利かない、等々、基本的にいつものこととはいえ、ちょっとひどい(苦笑)。なので、きょうも「元気が出る(元気を出す)」1曲を。
- アーティスト: デュトワ(シャルル), ハーフォード(ピーター), モントリオール交響楽団, サン=サーンス, フィルハーモニア管弦楽団, ロジェ(パスカル), オルティス(クリスティーナ), ロンドン・シンフォニエッタ
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 2003/06/25
- メディア: CD
フィルハーモニア以下の奏者は、フィルアップの「死の舞踏」と「動物の謝肉祭」の参加メンバーで、交響曲はOSMです。1983年のデジタル録音。
フランスの作曲家の交響曲としては「幻想」の次ぐらいに有名でしょうか(いいすぎ)?古くはミュンシュ、アンセルメあたりから交響曲全集を入れているマルティノン、スペクタキュラーおまかせのオーマンディ、アナログ末期からディジタル初期にかけての録音を(も)売りにしたメータ、バレンボイム、カラヤン、レヴァイン、近年ではチョン・ミュンフンと、ぱっと思いつくだけでも名盤目白押しですが、「やっぱフランスものはデュトワっしょ」ということで。
CDを買えば必ず書いてあることなのですが、この曲は2部に分かれています。その第1部前半が交響的アレグロ、後半が緩徐楽章、第2部前半がスケルツォ、後半がフィナーレの役割を果たしており、実は通常の4楽章の交響曲に近い構成になっています。時間も全部で35分程度と、それほど長くありません。楽器編成は特殊3管+オルガン+ピアノ2台(第2ピアノは6小節?という話も)。ちょっと不思議だけれど、ハープは使ってないのです。
んー、やっぱりいいですね。冒頭、弦によるDes-durの和音の<>から、引き込まれてしまいます。静かな序奏が終わると3拍子の主部が「んたたららた|たりりららた」という特徴的なシンコペーションで幕を開けます。この曲は聞き流す分にはイージーだが(本当はいけないのよ^^;)楽譜を見るとびっくり。複雑な譜割りやシンコペーションがそこら中にあって、全曲どこをとっても、演奏しようとするとなかなか一筋縄ではいかないのです。
第1部後半はオルガンと弦のからみからはじまります。曲想はぜんぜん違うのだけれど音の響きから、ちょっとプーランクの「オルガン、弦とティンパニのための協奏曲」を思い出してしまいました。弦を中心としたのびやかな旋律は、サン=サーンスならでは。恍惚となってしまいます。
第1部が静かに終わると、第2部。また弦を中心にシンコペーションの嵐。打楽器まで含めて、縦の線がきっちり決まった演奏というのは、こういう快速な曲の場合、特に気持ちいいです。さすがOSM。前半の終結に向けてきっちりディミニュエンド。
そして一瞬、弦の音が切れると、「キターーーーーー(゜∀゜)ーーーーーー!!」(失礼しました)オルガンのC-durのff和音で第2部後半へ突入です。弦の長音符とピアノの細かい音形の対比、オルガンの持続音とオーケストラのアタックの対比など、個々をみれば単純なオーケストレイションなのですが、こうやって次々繰り出されてくると、いやがうえにも盛り上がってしまいます。低弦とオルガンペダルがゆっくりしたスケールを降りてくるところも、上はなかなかスリリングな(難しい)ことをやっています。最後は3/1拍子(1小節に全音符3個!)でC-durの和音の保持(やはり息のきれない/弓を返さないオルガンの威力は絶大)とティンパニのソロで輝かしく全曲を閉じます。最後の超リテヌートはデュトワの常套手段。最後の和音のティンパニはロール(トレモロ=ドロドロドロドロ)でなく単音なので、和音が非常に澄んで聞こえます。幻想やマーラーの第3交響曲と同じですね。
各地にオルガンを備えたホールが出来たおかげで、この曲を生で聴くことができる機会がずいぶん増えたと思います。アマチュアでもときどき取り上げていますよね。フル・オーケストラとわたりあえる性能を備えたオルガンが必要だし、ホールのオルガンと合わせるのは大変(チューニングとか、音のタイミングとか)ですが、これもぜひ生で演奏して/聴いてみたい曲です。
ちょっと話がずれますが。バブルや地方振興費のおかげでオルガンを備えたホールが増えたのは大変よいことですが、その導入コンセプトやその後の維持・運営は必ずしも成功しているとはいえないようです。こんな辛口の本もあります。
日本に来た多くのオルガンたちが幸せになりますように。Janacek/Sinfonietta [交響曲(独墺以外)]
[ちなんで5]
「小交響曲」とはいえ、堂々4管オーケストラ+金管13本の大編成。「交響曲」に含めるか「管弦楽曲」に含めるか微妙なところではありますが、「交響的なんとか」ではないので、いちおう交響曲に。カテゴリーは何にせよ、たぶんヤナーチェクの全作品中、もっとも有名な曲でしょう。今日の録音はこれ。また1000円盤です。
- アーティスト: チェコ・フィルハーモニー管弦楽団, ノイマン(ヴァーツラフ), ヤナーチェク
- 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2002/06/21
- メディア: CD
「タラス・ブーリバ」の暗さと対照的に、「シンフォニエッタ」は華やかです。その華やかさを盛り上げるのに不可欠なのが金管のバンダ。この「バンダ」というのは、オーケストラの主編成(ステージ)以外で演奏する「別働隊」のことで、使われている代表的な曲としては
Tchaikovsky/Sym4 [交響曲(独墺以外)]
「昔の演奏会録音で聴くマーラーシリーズ」は、いったん次回で終える予定なのですが、それに使うテープのA面の録音を聴いたので、思ったことを少々。
1982年のザルツブルク音楽祭における小澤/VPOのチャイコフスキー/交響曲第4番です。小澤はこの曲を3回録音していますが、時期的に一番近いのは88年のこれ。 この他にサイトウ・キネン(95年)とパリ管(70年)との録音があるようです。
- アーティスト: 小澤征爾, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, チャイコフスキー
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 2003/08/21
- メディア: CD
Messiaen/Turangalila [交響曲(独墺以外)]
以前、ケータイの着メロはシューマンの第2交響曲のフィナーレ、という話を書きましたが、もうひとつ、「星達の血の喜び」のテーマも打ち込んで使っていました。というわけで、大のお気に入りの曲です。最近、取って置きの曲ばかり聞いているようで、もうネタにつまりそう。
実は今回、カラヤンのショスタコのテープを探すついでにストックを見ていて、たまたま中を見たらテープが途中で止まっていたので、巻きをそろえるつもりで聴いた録音がこれだったというわけなので。
プレヴィンは今ひとつしゃっきりしない、微温的な演奏をする、というイメージがあって、あまり好んで聴かないのですが、この曲は何かの拍子にレコードを借りたのでしょう。レコードは持っていなくて、主に録音は小澤/トロントのテープをずっと聴いていました。現在、CDで聴くときはこれ。
- アーティスト: パリ・バスティーユ管弦楽団, ロリオ(ジャンヌ), ロリオ(イボンヌ), メシアン, チョン・ミュンフン
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1995/09/01
- メディア: CD
1990年の改訂と同時進行で録音されたようです。ちなみに改訂前のスコアを持っていますが、録音を聴いただけではどこが改訂されたのかぜんぜんわかりません(苦笑)。このスコア(1953年刊)には初演からいくつかの全曲、抜粋(III-IV-V)の演奏記録が載っていたり、(とても長い曲なので)抜粋するときの楽章の選び方(1楽章だけ演奏するならVとか)が説明されていたりして、できたての、まだ湯気が立っているような香りがします。
メシアンは生前、この曲の演奏や録音にできる限り臨席したといわれています。また、下の本をみると、この曲に限らず自作の演奏会に極力参加していたように思われます。彼が最後に監修した上記の録音が「最後のauthentic」とすれば、これから出てくる録音・演奏は、(決して悪い意味ではないのですが)メシアンの呪縛からのがれ、古典としてこの曲をとらえた新しいアプローチが見られるようになるのでしょう。「お楽しみはこれからだ」といったところでしょうか。
絶版になっているようですが、近所の図書館から定期的に借りている(笑)参考書。
オリヴィエ・メシアン その音楽的宇宙―クロード・サミュエルとの新たな対話
- 作者: オリヴィエ メシアン, クロード サミュエル
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 1993/06
- メディア: 単行本
「小澤は私の音楽にとって理想的な指揮者です」と述べられています。超大作オペラ「聖フランチェスコ」の初演(1983年)の指揮者にメシアンが小澤を指名したのは有名な話です。この本の原著は1986年に出版されているのですが、すでにケント・ナガノが言及されています。ちなみにチョン・ミュンフンについての記述はありませんでした。85~86年の演奏会への臨席記録が書かれているのですが、ものすごく精力的に世界中を飛び回っているのがわかります。メシアンが他の作曲家たち・演奏家たちをどう見ていたかも垣間見えて、興味深いです。
(「公開」し忘れたり、アップロードが不調だったりして遅くなってしまいました)
Shostakovich/Sym10 [交響曲(独墺以外)]
月曜日は体調不良でお休みして、火曜日もいまひとつ気力に欠けたため、今日になってしまいました。火、水と二日間かけて聴きました。
- アーティスト: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, ショスタコーヴィチ, カラヤン(ヘルベルト・フォン)
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1998/06/10
- メディア: CD
カラヤンが録音した唯一のショスタコーヴィチの交響曲、とはいえDGに2回(60年代と80年代)録音しています。前にもちょっと言及しました、デジタル初期の録音ラッシュの中では、よい録音に属すると思います。この曲は緩急、強弱などのメリハリをしっかりつけないであいまいに演奏するととてもつまらないのですが、さすがにドライブ感あふれる、爽快な録音に仕上がっています。
この曲を「巨大で複雑な交響曲」と表現している評論がありましたが、第4番やいわゆる戦争三部作などに比べれば、この交響曲は楽章構成も古典的で、旋律線も単純で、わかりやすいと思います。私のこの曲の初体験は、1976年のザルツブルク音楽祭のカラヤン/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏。たしかテープがあるはずなのに発掘できないでいるのですが、それはかっこいい演奏でした。後から聴いた(旧録音の)スタジオ録音より荒削りで、終楽章など怒涛のクライマックスであったと思います。ああ聴きたくなってきた、もういっぺんしっかりテープを探してみよう。
スタジオ録音では、カラヤン一流の「計算された熱狂」という印象をまぬかれませんが、それにしてもこの録音は美しい。特に弦のアンサンブルが精緻で、泣かせます。第2楽章の「スターリン」も単に荒々しいだけでなく、旋律線や和声のディテイルが聞こえてきて、よく設計された音楽であることが認識できます。それにしても木管のトップの負担(プレッシャー)が大きいですね、この曲は。
カラヤンがショスタコーヴィチの交響曲で唯一この曲を録音したのは、ショスタコーヴィチの場合かならず音楽とセットで語られる、その時々の彼の置かれた境遇や政治的状況を無視しても、音楽的に聴衆をひきつける力があると感じたからではないでしょうか。あるいは、器楽だけで演奏できる曲であり、ソヴィエトのプロパガンダ色が強くなく、それでいて華やかな曲を選んだらこれになったのかもしれません。むろん、カラヤンがこの曲に接したときはまだ「証言」が刊行されていなかったわけですが、それでもやはり、ある種の「透明さ」「無臭さ」をこの曲に感じていたのでしょう。ではなぜ第1番を取り上げなかったか?うーん、なぜでしょうね。
カラヤンの好みはけっこう徹底していて、例えばストラヴィンスキーは「春の祭典」「ミューズの神を率いるアポロ」は録音しているのに、「火の鳥」「ペトルーシュカ」は入れていない、ワーグナーも全曲録音はリング以降だけ、バルトークも「オケコン」とか限られているし、彼一流の美学が貫かれています。でもデジタル時代になって、ブルックナーの初期交響曲やサン・サーンスの第3交響曲を入れたり、節操がなくなってしまったのも、この時代の(特にこういった必然性の薄い、あるいは単純なミスがあるまま販売された)録音にいまひとつ共感できない所以ではあります。
そう、この録音の大きな瑕疵は終楽章の最後のティンパニのD-Es-C-Hが1小節多いこと。せっかく終結に向かって突き進んできたのに、台無しです。D-Es-C-Hがばしっと終わって、最後の最後の上昇楽想に入るはずなのに、ここで世界が切れないのはあんまりではないですか。この状態はショスタコーヴィッチ、カラヤン、DG等、誰にとってもよくないと思うのですが、最新のリマスタリングで修正されているでしょうか-難しいでしょうけれど。(ちょっと興奮してしまいました、失礼)
比較的昔から気に入っていた曲なので、全音の旧版のスコアを持っています。解説を見ると「第4交響曲は作曲者によって永久に葬り去られてしまった」とされていて、この文が第4番の初演(61年)より前に書かれたことがわかります。D-Es-C-Hがショスタコーヴィチのイニシャルであることについて触れられていないのも、今から思えば驚異的です。昔はやはり情報量が少なく(あるいは偏っていて)、そのゆりかえしが「証言」のようなセンセーショナルな形になって現れてきたのでしょう。
あと50年もすれば、たとえば(第6交響曲を除く)チャイコフスキーの交響曲のように、ことさら時代背景や作曲者の境遇を考えずとも、ショスタコーヴィチの交響曲を楽しむ時代がくるでしょうか。人が人に対して弾圧をする、という行為が過去の遺物になっている時代が来ることを祈らずにはいられません。
Dvorak/Sym7 [交響曲(独墺以外)]
昨日の続きのドヴォルザーク交響曲第7番(マゼール/VPO)。
えー、取り立てて言うことはないのですが。「ブラームス風」とか言われているそうなのですが、ブラームスっぽいところはなんだか陳腐に聞こえますね。ドヴォルザーク独特のリズムや節回しのところの方が、安心して聞けるような感じがするのですが、うがちすぎでしょうか。
実はこの曲は部分的には好きなのですが、どうも振り返ってみると、これまでにかれこれ1ヵ月半ほど紹介してきたどの曲よりも思い入れが少ないようで、何もかけません…。録音はそんなに悪くないと思いますが、なんかけっこうウィーンフィル、雑。マゼールだから?ドヴォ7(やっぱし略称ならドボ7のほうがしっくりするか)だから?いずれにしても、いまひとつ覇気が無いというか、しっかりしてよ、といいたくなるような感じがします。第2楽章がけっこうきれいだったのは新鮮でした。耳につくのはスケルツォとか、最終楽章の主題なのですけれどもね。
気分的に、しっかり耳に入らない状態で聴く曲ではなかったですね。明日はもっと手垢にまみれたCDにしよう。Dance Suite以来の散漫かも。すみませんが今日はこれで。
Dvorak/Sym8 [交響曲(独墺以外)]
天気はとてもよかったのですが、いろいろあって気分的に憂鬱な通勤でした。こういうときは、あまり大好きすぎて感情移入しないではいられなくなったり(先週のヒンデミットみたいに)、流すことのできない構造的な音楽(自分にとっては、バッハとかウェーベルンとか)をつい聴き込んだりするほど元気じゃないので、ほどほどに聞き流せるものを選びたいと思いました。で、これ。
ドヴォルザーク(最近は「ドボルザーク」と表記しないのでしょうか、また、オリジナルの発音は「ドヴォルジャック」が近いと聞いたことがあります)を聴くのに、わざわざウィーン・フィルにしなくても、あまつさえマゼールなんて、と思われる方が多いでしょう。私もそう思います(爆)。でも、同じ曲のCDを2枚以上買うのにはいささか抵抗があるので、いまのところこれしか持っていません。
第3楽章冒頭の弱起の部分が「たーらーりーー」といきなりリテヌートになる(ダル・セーニョしたときはもっと長い)のと、4楽章の最後が非常に早くなる以外は、それほど癖も強くなく、まあまあ聞ける録音ではないかと思います。
今のようにマーラーとかショスタコとかが普通に演奏される以前は、アマチュアオーケストラではブラームスやドヴォルザークの交響曲をとっかえひっかえやっていましたよね。おかげで、これらの曲はわざわざ「鑑賞する」ものではないような気がして、ろくに聴いていません。「新世界から」も、持っているCDは東独録音の超廉価盤だけです。このCDも、アメリカにいるときになんとなく聴きたくなって、地方都市のCD屋なのであまり選択肢の無かった中から選んだと記憶しています。そんなにしっかり聴かなくてもいいようにこの曲を選んできたので、きょうは論評無し。
今朝もブラームスとどっちにしようか悩んだのですが、ブラームスはいずれもうちょっとしっかり聴ける時に。でも、やっぱりこの曲でもけっこう聴いちゃった。
Shostakovich/Sym15 [交響曲(独墺以外)]
今日は、実は「出張の新幹線で聞く音楽」なのですが、まあご勘弁。
ショスタコーヴィチの最後の交響曲です。この曲は原点回帰というか、第1交響曲に非常に似た、室内楽的な雰囲気を持っていますよね。第1番やこの曲を聴くと、彼はやはり、本質的にピアノの作曲家だったのではないかという気になります。金属質打楽器(鉄琴、チェレスタ、トライアングル)の偏愛、シューマンの交響曲を思い起こさせる十六分音符ばりばりのスケルツォ、消え行く和音、明快な旋律線と和声など、それらしい特徴は枚挙に暇がありません。
ショスタコーヴィチの交響曲は、中央の第8番を中心に大アーチ構造をなしているといったら言いすぎでしょうか。でも、明らかに第15番は第1番を意識して、自分の音楽的語法の変化(進歩)を一見、同じような形式に持ち込もうとしていると感じられます。いっぽう、この曲には死期を感じていると思わせる透明感があります。彼の交響曲は大編成の割にはすっきりしている(複雑な和声や対位法を多用していない)のですが、この曲ではいっそう、少ない楽器を用いて静謐な響きを作ろうとしているように感じます。打楽器の多用も、中期の交響曲のようにクライマックスを築き上げるためではなく、「シンプル&クリーン」なサウンドの一員(というか立役者)として機能しています。この曲に比較すると、たとえば第9番なども十分にシンフォニック(音が多く、響きあう(「交響」的)であると言えると思います。
持っているショスタコのCDは全集(これ↓)です。
むろん参加アーティストはOrtrun Wenkel だけではなくて(笑)、指揮者はハイティンク、オーケストラはロンドン交響楽団、ロンドン・フィル、コンセルトヘボウの3団体です。15番はLPO、比較的初期のアナログ録音です。 ハイティンクは、大きい曲を片っ端からフィリップスに録音している時期がありました(1970年前後?)。ブルックナーとか、極端な言い方をすれば、何も感ずるところのない、どうでもいい演奏であったと記憶しています。しかし、このショスタコヴィチとは彼のてらいの無さ、そっけなさ、ある種の冷たさと相性が良いような気がします。好みや考え方の違いはあると思いますが、全容を素直に(指揮者の強い意志よりは、作曲者の意図を重視したい、という意味で)聞くのにはよいCDではないか(他の演奏を、比較する意図で聴いたことはあまり無いので断言はできませんが)と感じています。
この曲の原体験は、大学オケの先輩の下宿で、「ウィリアムテルが出てくるんよ~」と京都弁丸出しの先輩が教えてくれた、息子マキシムが指揮した録音です。ウィリアム・テルのところでは、「少年時代の追憶」という意味も知らず、ただ笑い転げていたことが懐かしいです。
実は、車で聴くとかすかな音や音色が聞こえない懸念があったので、新幹線のときを選んでヘッドフォンで聴いたのですが、新幹線もうるさいことはやはりうるさいですね。深夜に一人、かすかな空気の揺れを感じながら聞くのがお勧めです。車の中で取り上げる曲がどうしてもオーケストラ中心になるのも、私のオーケストラ偏愛のみならず、ディテイルが聞こえなくてもそれなりになんとかなるという理由があると思います。
(例によって、というかいつも以上に、よっぱらって意味不明の文章が多かったので、しばらく公開を中止し、改訂しました。JRの大事故に言及しかかった部分は、明言はしていませんでしたが「時事問題を扱わない」という心の内規にひっかかるので、削除しました。失礼致しました。)
Tchaikovsky/Sym2 [交響曲(独墺以外)]
チャイコフスキーの前半の交響曲はあまり有名ではありませんが、「民俗的」と形容されることが多いように親しみやすいメロディーが多く、ときどき思い出したようにかけています。
第1番は何度か演奏に参加したことがあるのでけっこうなじんでいたのですが、第2・3番はカラヤンの全集のCDが安く出たのを買ったときに初めて聴きました。特に第2番が単純なので車で聴くにはもってこい。マーラーの交響曲第1番を半音上で先取りしたような(笑)2楽章、「やぎさんゆうびん」の4楽章とか、作った人には失礼だけれど鼻歌気分で気楽に聞けてしまいます。
下のAmazonのエディタ・レビューは「美しい」「究極の」とか書いてあるが、演奏はあまりお勧めできない。カラヤンはデジタル録音で残すために80年代初頭に数多くのレコーディングを行っており、これもそのやっつけ仕事の一環。
終楽章でティンパニが飛び出している(と思う、ショスタコの10番の終楽章もティンパニが間違ってますよね)し、演奏もレガートを多用したカラヤン節ではあるが、あまり練れていない。ブルックナーの初期交響曲、サン=サーンス交響曲3番なども同様。もちろんアルペンやニールセンなどすごい録音もたくさんあるのだが、カラヤンの録音はやはり1970年代前半あたりが一番脂が乗っていて気持ちよくきける。
今回から、Amazon Webサービスを使ってCDを紹介してみます(持っているのは10年以上前の輸入版だけれど、その辺の違いはご勘弁)。でもこれってすごい宣伝効果があると思う。さすがネットビジネスに目端の利くAmazon。So-netにいくら払っているのだろう?