新国立劇場のトゥーランドット2008 [音楽関係の雑記]
テレビで見ただけですし、「感想」といえるほどのことでないので、あえて「雑記」にしておきます。
G.プッチーニ 「トゥーランドット」(2008年10月収録)
指 揮:アントネッロ・アッレマンディ
演 出:ヘニング・ブロックハウス
出演者:トゥーランドット/イレーネ・テオリン、 カラフ/ヴァルテル・フラッカーロ、 リュー/浜田 理恵
ティムール/妻屋 秀和、 アルトゥム皇帝/五郎部 俊朗、 ピン/萩原 潤、
パン/経種 廉彦、 ポン/小貫 岩夫、 官使/青山 貴、 クラウン/ジーン・メニング
http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000054_opera.html
冒頭から第3幕の「リューの死」までが劇中劇で、演じるのはプッチーニ(カラフ)と奥方(トゥーランドット)などなど、という設定なのですが、もちろんセリフが変わっているわけではないし、第1幕の北京の場面がはじまるまで、1920年の場面の長い黙劇があるので、どうしても違和感はぬぐえません。薄暗いままの終幕の場面も、どうしてみんながプッチーニ夫妻をたたえなければいけない?
もし劇場で見ていたら、(もともと設定の無い)バレエはふんだんに出てくるし、これもオペラには出てこない道化師の所作も楽しめたのかもしれません。第2幕第1場のカットも歌っていましたしね。しかしテレビで見ると、音楽がこれだけ千変万化なのに場面転換が全く無い異様さ、劇中劇の前後で楽譜を出したりしまったりする説明調のくどさ、画面の端の方でわさわさ着替える群集の鬱陶しさなど、つまらないディテールが目障りに感じました。
作曲家の人生を引き合いに出す、という演出が行われた例をあまり聞かないのは、斬新なのではなく、アイデアそのものが陳腐で、アンタッチャブルだからなのではないでしょうか。作品というのは、必ずそのときの作曲家の人生-感情、価値観、興味、などだけでなく、行動やまわりの人との関係なども-が関わるのが当たり前だと思います。しかしオペラは、それ自体すでに「虚構」なので、強引に作曲家と作品を結び付けてしまうと、(作曲家にとっての)虚構と現実がないまぜになり、焦点がどこにあるのかわからなくなります。歌手たちは、特に主役級の3人については基本的にすばらしかったと思いますが、どうも役柄としての強靭な意志が感じられず、妙にセンチメンタルになったり、逆に無表情になったりといった表情の変化に戸惑いが感じられるような気がしました。
オーケストラ(東フィル)は健闘していたと思いますが、せせこましいテンポ運びは、聴衆の感情移入をはねつけているようにも思えました。「新プロダクション」というのはこういうものなのかもしれませんが、どうにもまとまりが無い印象はぬぐえませんでした。私自身のオペラ観がコンサバに凝り固まっているのが最大の要因なのでしょうが。
Messiaen/オルガン全集など [音楽関係の雑記]
メシアン生誕100周年も、はや1週間を余すのみとなりました。で、何とかメシアン・イヤーにすべりこむべく、これらの曲集を購いました。
メシアンの即興演奏を髣髴とさせる「オルガン全集」と、ピアノ曲の大作「鳥のカタログ」。いずれもデジタル録音にも関わらず廉価盤だったおかげで、CD11枚分が約4000円で買えました。
こつこつと聴いていきますので、記事のアップは来年になってしまうと思いますが、また見に来てください。
RCOのライヴ [音楽関係の雑記]
mozart1889さんのブログで拝見して知りました。120周年のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が録音を公開しています。
シンフォニー10曲のmp3ファイルが無料でダウンロードできます。サイトをご覧いただければわかることですが、曲目と指揮者は以下のとおりです。
YCS [音楽関係の雑記]
次の週末、こちらの演奏会に出演させていただきます。
横浜シティ・シンフォニエッタ第15回演奏会
2008年11月9日(日)14時開演
神奈川県民ホール 小ホール
弦楽器が少ないのでなかなかバランスが難しいうえに、指揮者には「出るところは遠慮しないで下さい」「高貴でない音でやって下さい」などと言われるので若干緊張気味。音の調整はホールに行ってからが勝負ですね。
曲目は上のリンク先から演奏会のページをご覧いただければわかりますが、ドナウ川つながりということで、モーツァルト、バッハ、バルトーク、ブラームス、そしてヨハン・シュトラウスJr.と盛りだくさんです。あまり書くとネタバレになってしまいますが、指揮者がいろいろ凝る方で、編曲がいくつかあるものは演奏される機会が少ないものを選んだり、通例とは異なる繰り返しのしかたをしたりと、なかなか興味深いプログラムだと思います。お近くの方はぜひ。
Verdi/レクイエムのティンパニ [音楽関係の雑記]
友人がヴェルディ「レクイエム」の演奏会に参加します。
つらつらとこの曲のスコアを眺めていると、ちょっと不思議なことに気がつきました。第1曲、レクイエムの後半、キリエはイ長調ですが、転調を繰り返して嬰ヘ長調でフォルテシモに至り、はじめてティンパニが入ります(スコアはオイレンブルクのものですが、ペータース=Doverも同じでした)。
ここのティンパニの音が「A」なんですよね。嬰ヘ長調にはどうにもはまりません。第1曲はイ短調-イ長調なのでティンパニがA-Eなのは普通ですが、なにもここで無理にAを出す必要はないように思われます。ディエス・イレにはG-A-Bb-Dの4音が連続して出てくるところがあるので、ペダル・ティンパニを使わなければ4台のティンパニが必要だからです。
ヴェルディが活躍した19世紀後半は、ちょうどティンパニが発達してきたころで、主音・属音の2台が主流だった時代から、多数の楽器を使ったり、曲の途中でチューニングを変えたりという用法が広まってきた時代に移って行く途上でした。19世紀末には音替えの容易なチェーン・ティンパニやペダル・ティンパニが一般的になり、例えばリヒャルト・シュトラウス、マーラーやプッチーニなどは多数の楽器を配置し頻繁に音を変えることを要求しています。
しかし、もう少し時代を遡ったヴェルディの壮年期の作品では、そう多くの音替えを要求していません。そのため、転調に間に合わず、全体で鳴っている和音の主音でも属音でもない音や、時には和音に含まれない音が代用されている場合が見受けられます。
とはいえ、この作品では上記のような「近代的な」パッセージがあり、直前に書かれた「アイーダ」でもティンパニは最低3台、音替えが遅ければ4台必要な部分が出てきますから、和音に合わせてチューニングを変えることが可能なはずで、何も「A」を鳴らす必然性は無いように思うのですが…。
単純に、印刷するとき「#」が落ちた、という見方も出来ないことはないと思います。「アイーダ」の最後の最後は変ト長調の和音で終わるのですが、ここのティンパニは「G」と表記されているのです(リコルディの旧版=Dover)。これは、たぶん「♭(フラット)」を落としたのだと思われます。古いスコアにはこのくらいの間違いはいくらでもあるので、いちいち目くじらをたてていてもしょうがないのかもしれませんが、うえの画像のようにしっかり「E-A」と書いてあるので、ここは明らかに「A」が意図されている、ということなんですよね。不思議です。
いくつか聴いた録音では、「A」と「F#」と両方ありました。さーっと聞き流してしまう分には、ティンパニが「とどろいている」だけなのであまり気になりません(今まで、録音でなら何十回と聴いてきましたが、恥ずかしながら全然気がつきませんでした)が、気にして聴くと、やはり「A」はいごごち悪いです。
日独交流演奏会 [音楽関係の雑記]
この週末、ちょっとお手伝いに行ってきます。
日独交流演奏会
http://chemnitz.at-ninja.jp/
ワーグナー:ローエングリンより第3幕への前奏曲
ワーグナー:ローエングリンより結婚行進曲
ヴェルディ リゴレットより「いとしい名前」
プッチーニ:トゥーランドットより「誰も寝てはならぬ」
ヴェルディ:ナブッコより「金色の風」
ヴェルディ:椿姫より「乾杯の唄」
ドヴォルジャーク 交響曲第9番「新世界より」
日独アマオケの合同演奏会です。合唱団も参加しているので、豪華プログラムです!
お疲れ様でした [音楽関係の雑記]
(きつい表現だったので、改題しました)
仕事の休み期間を利用して、家の中の模様替えをしています。子供が大きくなってくるとどうしても占有空間が増えてきて、相対的にこちらの空間は減るわけで、いろいろ整理する必要が出てきます。というわけで、今回、カセットテープを数百本、処分しました。写真は、ケースの残骸です(テープそのものは、悲しくて写真にとれませんでした)。ついこの間までこういった木製品が主流だったのに、と思うのは、歳をとった証拠ですね。
実は全数捨てたのではなく、まだ300本くらい残っているのですが、ほとんどはエアチェックした演奏会の録音です。ブログネタのためにまだとっておかなくては(苦笑)。そうそう、一部、自分の参加した演奏もあります(二度と聴かないだろうけど)。
また、ポピュラー系は、音楽を聴き始めたころのものも多く、いろいろ思いがつまっているのですが、じっくり見ると愛着がぶり返してしまうし、そこそこCDに置き換わっているので、バッサリ無くしました。今ではもうたぶん手に入らないであろうブートをダビングしたものとかもあったわけですが、もう全うしてもらったかな、という思いで、お別れすることにしました。
今まで人生を楽しませてくれて、ありがとう。
スポンジ劣化 [音楽関係の雑記]
いつも音楽への愛情溢れるコメントが素敵なmozart1889さんのブログで、昔の組み物CDに緩衝材として入っていたスポンジが劣化してきているという記事を見つけ、あわててCDケースをひっくり返しました。私はCDの出始めと就職した時期が近く、要するに独身のいちばん金回りが良い時期に、初期のCDをそこそこ買ったのです。このころ買った、特にDG、DECCA、フィリップスのポリグラム一派の組CDのケースには、必ず厚さ2mm程度のスポンジが封入されていました。いま、それが劣化してCDを蝕んでいると言うのです!
あわてて見ただけのことはありました。最悪なのは、ジュリーニ/ロス・フィルの「ファルスタッフ」。アルミの蒸着が剥がれて向こうが透けて見えます。
他にもスポンジが張り付いたままはがれない、とか、いろいろ危なそうなCDがありました。ここしばらくはCDのチェックもかねて、このへんのポリグラム系を聴いていきたいと思います。
伊福部昭音楽祭 [音楽関係の雑記]
http://ifukube-fes.com/
今回は演奏だけでなく、映画やシンポジウムもあり、いっそう盛りだくさんです。オーケストラは特別編成の「伊福部昭記念オーケストラ」。フォトギャラリーもあるなど、全館「伊福部昭」一色になるようです。
荻窪駅から歩いて10分足らず、改装から日も浅く、きれいなホールです。ぜひ、皆さんお越しになってみてください。
里中満智子/トゥーランドット [音楽関係の雑記]
TIAA10th [音楽関係の雑記]
早いもので、もう6月ですね。
直前になってしまいましたが、この週末(6/2、3)のオペラ公演のピットで、友人たちが演奏します。
http://www.tiaa-jp.com/concert/index.html
ペルゴレージの「奥様女中」とプッチーニ三部作のひとつ、「修道女アンジェリカ」。たしかそれぞれ約1時間程度のはず。たわいもないドタバタ(音楽は美しいです)とシリアスな悲劇(同様です)の2本立て、というのが面白いです。ご興味をもたれた方、いらしてみてください。
場所は
ふたりのシュミット [音楽関係の雑記]
20世紀前半に活躍した作曲家で、「シュミット」という名前の人がふたりいます。
ひとりはオーストリアのフランツ・シュミットFranz Schmidt(1874-1939)。ウィーン音楽院長になった人です。ウィーン宮廷歌劇場のチェリスト時代はマーラーとあまり仲がよくなかったという逸話も残っていますが、その作品はマーラーの影響も受けているといわれています。しかし、マーラーよりもリヒャルト・シュトラウスの影響のほうがつよく、もっといえばレーガーやツェムリンスキーなど、もう少し前の時代(世代的に、あるいは作風的に)の作曲家の系譜に連なると私は思います。代表作は歌劇「ノートル・ダム」、オラトリオ「7つの封印の書」、4曲の交響曲(とくに第4番)など(私はこれまで交響曲をちょいと聴いた程度)。
もうひとりはフランスのフロラン・シュミットFlorent Schmitt(1870-1958)。綴りがちょっと違います。こちらはマスネやフォーレの弟子で、パリ音楽院の院長を務めました。基本的なスタイルはドビュッシーやラヴェルにちょっと似ていますが、ガチガチの印象派というよりは、もう少し構造的な構成など、ドイツ・ロマン派との折衷的な印象の曲を書いています。代表作は、バレエ「サロメの悲劇」でしょうか。これは一度演奏してみたかったのですが、合唱が入る(いちおう器楽で置き換えは可能)し、そもそも難しいし、機会がありませんでした。
どちらかしか知らなかったり、混同されたりすることがままあるようですが、それぞれの音楽圏で、最先端の12音や無調に走らず、アカデミーにのっとって活動していたというのは、単なる偶然にしても面白いですね。この時代の作曲家は、シェーンベルク、ストラヴィンスキーなど先鋭的な人たちにどうしても目が行きがちですが、まだまだ聴きやすく興味深い曲を書いた人が多いのですね。
Ifukube/Festival [音楽関係の雑記]
今日は演奏会のお知らせです。
ご存知の方も多いと思いますが、3月4日にサントリーホールで「伊福部
昭音楽祭」が行われます。当日はロビー内に伊福部さんの遺品や直筆
の譜面などの展示もあります。ぜひこの機会に、彼の作品や生涯に接し
てみてください。
ーーー詳細はここからーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ゴジラの映画音楽で有名な伊福部昭さんを偲ぶ音楽祭が、下記の要領で
開催されます。独特の音楽技法で影響を受けた作曲家やファンの方が大
勢いらっしゃいますね。
Culshaw/Straight [音楽関係の雑記]
BSO 05-06シーズン [音楽関係の雑記]
今年は125周年だそうです。
アメリカで見に(聴きに)行った回数がいちばん多いので、何となく親近感を感じています。ここ見ちゃえばわかるのですが、いくつかご紹介していっそうくやしがります…。
04-05はジェイムズ・レヴァインの音楽監督就任シーズンで、声楽入り大曲はマーラー第8、オランダ人、ベルリオーズのロメジュリ、他にもガッティ/マーラー第5、ドホナーニ/マーラー第1、マズア/ブルックナー第4といったビッグネーム客演指揮者による大シンフォニー、ブレンデルやゴールウェイをはじめとする多彩なソリストによるコンチェルトなど、超盛りだくさんのプログラムでした。
私は幸いにもこのうちベルリオーズ(「ロミオとジュリエット」1曲プロ)を聴くことができ、久しぶり(13年ぶり)というか、声楽付きの曲では初めて「シンフォニー・ホールのBSO」を堪能することが出来ました。なにせ会社の出張中だったので予習が不十分でちょっと残念だったのですが…。このチケットをネットから購入したので、住所等をBSOに連絡したため、今シーズンのプログラムが郵送で送られてきたのです。
さて前置きが長くなってしまいましたが、05-06シーズンもプログラムの傾向は踏襲されているようです。今シーズンのオープニングは、サイモン・プレストンをオルガンに迎えたサン=サーンスの第3をメインとするフランス・プロ。大曲としてはレヴァイン自らがミサ・ソレムニス、「グレの歌」、第九を、フリューベック=デ=ブルゴスがベルリオーズのレクイエムを、ドホナーニが「オイディプス王」を取り上げます(これらの演奏会は、全部2006年です)。
そのほかのゲスト・コンダクターとして、名誉指揮者のハイティンク(マーラー第6(1曲プロ)、ルーセル第3など)、テミルカノフ(ジョシュア・ベルとのチャイコンなど)、マズア(ブルックナー第7)、コリン・デイヴィス、ベルグルンドなどが登場します。ソリストもクレーメル(シュニトケのコンチェルト・グロッソ第5)、ヨーヨー・マ(リゲティ委嘱曲の世界初演)、F. P. ツィンマーマン(シベリウス)など多士済々です。
125周年の企画として、オール委嘱作品プロ、というのがありますが、詩篇交響曲で始まりデュティーユ、カーター(2003年初演作)をはさんでオケコンで終わる、というのが、やはり20世紀の演奏史での足跡を感じさせるオーケストラならではの企画です。あと面白いのは、「グレ」以外にもオール・シェーンベルク・プロなどシェーンベルクが取り上げられる機会が、昨シーズン以上に多いことで、これはレヴァインの嗜好が反映されているのではないでしょうか。
レヴァインはBSO初のアメリカ人音楽監督だそうですが、多彩なゲストコンダクター、継続的な新作の委嘱、新旧取り混ぜたプログラミングなど、オーソドックスながらも意欲的な取り組みを続けているようです。デルタの破綻など、スポンサーもかつてのアメリカほどの権威がないかもしれませんが、BSOは今シーズンも元気のようです。今年も何とか出張でっち上げられないかなあ…。