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阿修羅展へ行きました [雑記]

また仏様の話ですが、どうぞお付き合いください。音楽も聴いていますので、そのうち必ず…。

今回は上野の東京国立博物館へ。私はあまり「展覧会」系のイベントには(常設展を除いて)行かないのですが、今回は阿修羅のまわりをぐるりとめぐれるというじゃありませんか。さらに八部衆・十大弟子(現存6体)が全員、東京にきてくれるという。こんな機会、もう二度とないでしょう。さんざん迷いましたが、3月30日(開会前日)に前売り券を買いました。

実際に行ったのは4月11日(土)。いいお天気でした。土曜日の午前中なので、人は大勢出ています。博物館への人の流れはそれほど多くないと思ったのですが、着いたらすでに「40分待ち」とのことでびっくり。

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行列に日傘の人が多いのは、博物館で貸し出していたからです。確かにけっこう日差しが強く、さすがに屋根の下に入ったときには、ほっとしましたね。整理の人はネクタイを締めて麦藁帽子でした、お疲れ様です。

行列していたときに聴いていたのは、およそそぐわないシェーンベルクの「期待」(ははは…)。これについてはもう少し聴きこんでから記事を書きます。

平成館のエスカレーターを2階へ上がり、ぐるっと戻った会場入り口の正面は、来年から再建が予定されている中金堂のCGでした。「阿修羅展」という名前とはいえ、中金堂再建事業(の資金集め)の一環ですから、中金堂が大きなテーマにもなっています。ですので、会場に入るとまず、中金堂創建時=奈良時代に埋められた「鎮壇具」の数々に迎えられます。

伝橘夫人念持仏と厨子が法隆寺から応援にかけつけているのも嬉しいですね。柔和な表情はいつみても心が和みます。

そして最大の見どころ、八部衆と十大弟子(現存している6体)のそろい踏みへ。とは言っても阿修羅は別室、準主役たちが会場の左右にならんでいます。真後ろは入れませんが、横からも見ることができるのはありがたいですね。下半身を失った五部浄(ごぶじょう)はさすがにケースに入っていましたが、他はみんな露出なので空気を共有できます(^_^)

五部浄といえば、東京国立博物館に委託されいている右腕が同時に展示されていました。久しぶりに顔の近くにいられて、喜んでいるのではないでしょうか。せっかくだから十大弟子の現存する残りの2体(1体は芸大にある足と服の裾のごく一部が残る心木、もう1体は個人蔵(?)で顔と下半身を後補したもの)も連れてきてくれればよかったのに、というのはないものねだりですか。

興奮冷めやらぬままスロープを登っていくと、いよいよ阿修羅に会えます。最初に「上から目線」で会えるのが新鮮です。そしてフロアへ下りていくと、ぐるっと阿修羅の周りをまわることができます。そこそこ混んでいましたが、σ(^_^;も最前列に進んでゆっくり一周しました。そのあと阿修羅から離れて左側面から見たとき、はっとするほど強い力を感じました。そのときの姿に近い写真が、会場で配っていた新聞の号外にありました。

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唇を噛む右側面もいいですが、眉根を寄せて悩む左側面が好きです。異様に細い腕が、空間の無限の広がりを感じさせます。阿修羅は八部衆で唯一、鎧をつけていませんし、多面多臂です(異形ということでは、鳥の顔の迦楼羅(かるら)と三目一角の緊那羅(きんなら)がいますが)。やはり八部衆の中でも特別な存在なのですね。

後半の展示は、中金堂落成の暁にはそこに鎮座まします予定の薬王・薬上菩薩と四天王、こちらも見ごたえがあります。四天王は鎌倉時代の造像にしては動きが少なめで、古都奈良にふさわしいと言えましょう。

最近、運慶作と判明した仏頭も、飛天や化仏といっしょに展示されていました。以前から知られていたものですが、例えば手近な本には「名のある奈良仏師の作と思われる」という旨のことが書いてあります。「ものはいいけどイマイチ」みたいな記述のものもあって、確かに造形がザックリとしていて、他の運慶作の仏像といささか作風を異にします。そのあとの中金堂と阿修羅のCGは、付け足しのようなものですね。どうせなら中金堂に仮金堂安置の諸尊を入れたものを作ってほしかったと思います。

ところで八部衆のうち、獅子の頭を被って眠そうな表情の乾闥婆(けんだっば)は、音楽の神様なんだそうです。そう言えば動物のモチーフも多い(ほかに迦楼羅=鳥、五部浄=象、沙羯羅(さから)=蛇)ですね、ここでも阿修羅は仲間はずれ(動物に関係ありません)です。今回、全員そろっているのは4月19日まで(おっさん顔の畢婆迦羅(ひばから)と鳩槃荼(くばんだ)、それに十大弟子のうち羅睺羅がいなくなるそうです)なので、慌てて行きました。またと得がたい、貴重な体験でした…。

阿修羅の余韻を胸に、平成館1Fの展示や本館の通常展も回りました。平成館の古代の展示で知ったのですが、銅鐸というのはもともと「カウベル」だったそうです。銅鐸と言われると1メートル近くありそうな大きなものをイメージしてしまいますが、初期のものは小型で、家畜の首に下げて鈴のように使ったらしいそうで。どんな音がしたんだろう?

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本館裏の庭園も開放されていました。桜の季節は過ぎていましたが、落ちた花びらが、それはそれで美しかったです。

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法隆寺宝物館もまわりました。私が学生や社会人になりたてのころ、宝物館は古い建物で、木曜しか開館していませんでした。仏像やお寺に興味を持ち出して、梅原猛の著作などの影響もあり、初めて入れ込んだのが法隆寺でしたので、ここには来たくてたまらなかったのです。仕方なく学校や会社を休んで、何度か来ていました。そのころ以来、10年前に新装成ってから初めての訪問です。展示の仕方は全くと言っていいほど変わっていましたが、懐かしいものが多かったです。 平成館へ行く道にかかる八重桜がちょうど満開でした。

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帰りは上野の山を回っていきました。桜はほとんど終わって葉桜もいいところでしたが、お花見の団体がいっぱいいました(酒臭かった~)。不忍池の弁天様もすごい人出でした。でもそんな喧騒より、八部衆・十大弟子の姿がくっきりと残っていました。至福、至福(^_^)


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サンフランシスコ人

今年の夏、サンフランシスコのシンフォニーホールの近くで、日本美術の展覧会があります。

http://www.asianart.org/Samurai.htm
by サンフランシスコ人 (2009-04-15 02:34) 

よんちゃん

こんにちは。

「読んでいるブログ」に司馬氏のアイーダを入れていただき、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。
by よんちゃん (2009-04-24 13:10) 

stbh

> サンフランシスコ人さん

ボストンの日本展示は何度か足を運びました。サンフランシスコにも多くの日本の美術品がありそうですね。

> よんちゃんさん

ご来訪ありがとうございます。楽しませていただいています。こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。
by stbh (2009-04-27 07:32) 

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