Debussy/歌曲と連弾 [実演]
ごぶさたしています。
5月24日に、このコンサートを聴いてきました。プロのピアノを聴くのはずいぶん久しぶりです。
≪青柳 いづみこ ドビュッシー・シリーズ ふたたび in 2008 全4回≫
2)5月24日(土) 14:00
[ドビュッシーとパリの詩人たち]
共演 ソプラノ 野々下由香里
クロード・ドビュッシー・アンサンブル(下山静香+深尾由美子 )
朗読:田並明日香
ドビュッシー:
忘れられた小唄(ヴェルレーヌの詩による)
ビリティスの歌(ピエール・ルイスの詩による)
6つの古代碑銘(同上・4手連弾)
牧神の午後への前奏曲(マラルメの詩による)
フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード
今回の連続演奏会の演奏とプロデュースを手がける、ピアニストの青柳いづみこさんのサイトはこちら。
http://ondine-i.net/index3.html
代表的なCDは、最新作のこちらでしょうか。
ドビュッシーの時間:「版画」「12の練習曲集」「忘れられた映像」
- アーティスト: 青柳いづみこ,ドビュッシー
- 出版社/メーカー: カメラータ・トウキョウ
- 発売日: 2008/03/20
- メディア: CD
「ピアニスト・文筆家」と称されるとおり、多くの著作もあって、精力的に活動されているようです。
さて今回のコンサート、私は連続で聴いているわけではないのですが、一連の演奏会のプログラムを見ると、今回のテーマが「ドビュッシーとパリの詩人たち」ということで歌曲を中心に、ピアノ曲も詩からのインスピレーションによる曲が取り上げられています。恥ずかしながらドビュッシーの歌曲は聴いたことがなく、予習もできませんでしたのでぶっつけ本番(汗)でした。
開演時間になり場内が暗くなると、演奏者ではなく
「語り手」が登場しました。そこで語られるのは、新婚の妻とその両親と住む詩人ヴェルレーヌのところへやって来た、のちにヴェルレーヌとただならぬ関係になるランボーと、同じ家へピアノを習いに来る少年ドビュッシーの、来訪時のようすでした。これは実は青柳さんの著書「ドビュッシー-想念のエクトプラズム」の一節なのですが、当時のフランス芸術界について無知な私には十分ショッキングでした。
これを受けて演奏された歌曲集「忘れられた小唄」は、まさにランボーとの関係の最中に編まれたヴェルレーヌの詩集「言葉なき恋歌」の詩に曲がつけられています。1880年代、まだ20代の作品はいまひとつすっきりしない、生硬な感じがしますが、それはひょっとしたら題材や、それが描く世界のせいかもしれません。ピアノの音は聴きなれたドビュッシーとは違って深く重く、時にヒステリックにもなります。ソプラノの歌声は明るく素直なのですが、妙に違和感なく受け入れられました。
次の曲は1890年代後半に、ギリシャ時代の女性ビリティスの自伝の形態をとったルイスの詩集「ビリティスの歌」につけられたもので、ビリティスの少女時代を描いた第1部の詩を使っています。後半に演奏された「6つの古代碑銘」もこの詩集にもとづいています。ここは少女なのでソプラノの歌声も違和感なく、ピアノもやや明るく響いて聞こえました。しかし最後の曲は「(少女時代の)恋の終わり」なので、はかなく終わります。
プログラム後半のうち連弾の2曲は、青柳さんのお弟子さんのデュオによって演奏されました。「6つの古代碑銘」はもともとルイスのしの朗読とパントマイムの付随音楽として、2台のフルート、2台のハープとチェレスタという編成で作曲されたものだそうです。詩集の第2部、ビリティスの同性愛時代と第3部、遊女時代の詩にもとづいており、完成は1914年ですので晩年の作ということになります。今回は朗読と交互に演奏されましたが、「海」などど共通するある種のわかりやすさがある作品に感じられました。
連弾の2曲目は、この日のプログラムの中ではいちばん人口に膾炙していると思われる「牧神の午後への前奏曲」の連弾版。マラルメの詩集「半獣神の午後」に想を得て、1890年代前半に作曲されています。この連弾のための編曲は、原曲に感銘を受けたラヴェルが行ったものだそうです。オーケストラに比べるとどうしても色彩感は乏しくなってしまいますが、和声や旋律線の絡みはかえって際立って聞こえるようなところもあります。演奏会全体では「間奏曲」といった風情で、いちばんドキドキせずに聴くことができました。連弾というのはひとつの楽器を二人で演奏するので、いろいろあわせるのが難しいのですが、2曲とも見事なテクニックで、美しく聴かせていただきました。
プログラム最後の曲は、中世フランスの詩人ヴィヨンの「遺言集」からの3篇に1910年に作曲された「フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード」。同世代の詩人たちに比べて、明快な題材をとったともいえ、コンサート全体の「暗から明へ」という雰囲気をしめくくるにふさわしく、(無節操な喧騒ではありませんが)華やいだ雰囲気の曲です。ソプラノの野々下さんの明るい歌声が良く似合っていました。
アンコールに応えて、この日初めての青柳さんの独奏は、ボードレールの詩による2曲。さらにもう1曲、歌曲を歌っていただいて聴き納め。ドビュッシーのさまざまな表情と、始めて向かい合えた気がします。
帰りがけに、青柳さんの著作「ドビュッシー-想念のエクトプラズム」を購入してきました(サインもいただきました)。この本はもう10年以上前に上梓されていますが、今回の連続演奏会にあわせて文庫化されたのだそうです。その「はじめに」の中で、「実際に、ドビュッシーの生涯と思想の中で、印象派はほとんど何のかかわりももっていないからだ」と端的に書かれているように、これまでの「印象主義の繊細なドビュッシー」像を覆すものらしいので、楽しみです。読んだらまた感想を書こうと思います。
上のCDの絵は、日本美術の影響がいっぱいですね。
by サンフランシスコ人 (2008-05-26 05:39)
いわゆる「世紀末」は明治の中ごろ、欧米に日本の芸術が流出し、ちょっとしたブームになった時期ですね。
by stbh (2008-05-26 23:19)
遅ればせながら…。
青柳さんは、以前「ピアニストが見たピアニスト」という本を読んで、とても面白かった覚えがあるのですが、演奏は聴いたことがありません。
あと、「ぼくたちクラシックつながり」という本は買ってあって、もうすぐ読むところです。
by Lionbass (2008-06-03 18:00)
Lionbassさん
ドビュッシーというと「キレイな音楽」という印象があったのですが、思いのほか深くて暗くて、最初はちょっと違和感がありました。ドビュッシーの評伝は今読んでいますが、ちょっと情報量が多すぎてなかなか進みません(汗
by stbh (2008-06-07 00:37)
とても面白い文化状況だったんですね。
そーいえばラマルメの詩のようなサービスみつけました。
私のブログのパーツがそうです。よろしかったらご覧ください。
by 元祖 (2008-10-20 00:06)
元祖さん、いらっしゃいませ!
世紀末という時代は、「頽廃」とか一言では済ませられない、なかなか複雑な様相を呈していたようです。まあ、いつの時代でもそんなに単純なものではないのでしょうが。
ブログパーツ拝見しました。なかなかシュールですね(;^_^A
by stbh (2008-10-20 23:01)
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by 카지노사이트 (2020-11-08 13:33)