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Mahler/Sym9 [交響曲(マーラー)]

数々の演奏・録音のあるマーラーの第9交響曲、今回はこれを聴いてみました。

マーラー:交響曲第9番

マーラー:交響曲第9番

  • アーティスト: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, マーラー, カラヤン(ヘルベルト・フォン), シェーンベルク
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 1996/11/21
  • メディア: CD

これだけではちょっと不安なので、Towerrecordsにもリンクを張っておきます。こちらも「お取り寄せ」なのが不安ですが…。

Mahler: Symphony no 9, Lieder / Karajan, Ludwig, Berlin PO

カラヤンは短期間のうちに2種のマーラー第9の録音を出しています。これは非常に珍しいことです。まず、1979年10月のバーンスタイン/BPOのセンセーショナルなライヴの翌月から1980年にかけてレコーディングを行ったスタジオ盤が今回ご紹介する録音。その後、1982年に何度かの演奏会を経て、9月の演奏会をライヴ収録したものが発売されました。これは、カラヤンによるこの曲の最後の演奏会だそうで、この演奏でカラヤンはマーラー演奏に満足した、と言われているものです。 一般によく聴かれるのはこのライヴ盤で、今回聴いたスタジオ盤は、「バーンスタインの影を払拭するために、不出来を承知で録音・発売した」との揶揄もあるほどで、発売当初から評判はあまり芳しくありませんでした。

今こうして、四半世紀以上経って冷静に聴いてみると、良くも悪くも、カラヤンの特徴が凝縮された録音と言えるでしょう。第1楽章は、決して詠嘆調にならず、急激なテンポや音量の変化も無く、どこまでもなめらかでつややかな音が続いていきます。へんな言い方かもしれませんが、この演奏なら、この曲を聴いて死にたくはならないでしょう。妙に生き生きとして聞こえます。

第2楽章に端正さを求めるのであれば、この録音は最右翼だと思います。あくまでも角の取れた第1楽章とは違い、もともとマーラーの曲想にあるギクシャクしたニュアンスがわりとストレートに出ており、ちょっとカラヤンらしくないと感じてしまうのは勘ぐりすぎでしょうか。

この曲の解釈の勝負は、あの改訂好き、指示好きのマーラーがそれを果たせず、ほとんど表情(の指示)が無くなる第3楽章からでしょう。この交響曲の中で唯一、激しい曲想を持つ第3楽章は、先行楽章と比べてもオーケストラや指揮者に対する細かい指示が少なく、後半は速度標語まで少なくなってしまいます。カラヤンは思いのほか早めのテンポで曲を進めますが、あくまでなめらかに、きれいに曲を作ることに専念しているかのようです。全体的にシャカシャカした音楽の運びは、焦燥感を表している(意識的か、無意識か?)のかもしれません。

最終楽章は、第2小節後半の8分音符で勝負あった、というところでしょうか。この部分、アクセントより全体のディミニエンドを守った解釈が示すように、大きくテンポやダイナミクスを揺らすことなく、かといって(例えばワルターのように)あまり淡白にはならずに進みます。あくまでも瞬間瞬間の響きは美しく、流れは滞りなく、形は端整に、と、通常のマーラー演奏とはかけはなれたアプローチのように思えますが、これこそがカラヤンの目指したマーラー像なのでしょう。この録音を聴くと、むやみにデフォルメすることなく、響きを充実させきる行き方を、マーラーにだけ否定するのはおかしい、と思えてきます。

足掛け2年かけたこの録音ですが、カラヤンは自分の行き方が徹底されていないと思い、再度82年にこの曲を取り上げたのでしょう。録音にあまり頓着せず、レコーディングをスタジオでやったら後は知らない、という指揮者が大半の世代で、これだけ録音に重きを置いた人は他にいないのですから、われわれのような録音リスナーには、それはそれでありがたいことだと思います。


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