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Beethoven/Op31 [室内楽・器楽曲]

以前named sonatasについてのエントリーをupして以来のベートーヴェン、聴いたCDは相変わらずこれです。「爆破臼」なんちゃって。

ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ全集

ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ全集

  • アーティスト: バックハウス(ウィルヘルム), ベートーヴェン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 1999/06/02
  • メディア: CD

まず録音の話から。バックハウス2度目にあたる、ステレオのソナタ全曲録音は、1958年に「悲愴」「月光」で始められ、ベートーヴェン生誕200年に当たる1970年に、大作「ハンマークラヴィーア」を録音して完結するはずでした。しかしその前年の1969年、演奏会途中に倒れたバックハウスが帰らぬ人となってしまい、全集は未完に終わってしまいました。しかし1969年のセッションは4月に終えており、今回ご紹介する第16番をはじめとした6曲が収録されていたので、再録音できなかったのは「ハンマークラヴィーア」1曲だけでした。なお第17、18番は1963年に収録されていて、16番と続けて聴くと若干音が違います。

「バックハウスのステレオ全集」は、彼が74歳から85歳の間に録音されたことになります。この年ですから、どうしても「指の回り」のような純粋にテクニカルな面では、特に後半の録音で必ずしも完璧というわけにはいかなくなっているようで、第16番など「おっ!?」と思うような場面もないわけではありませんけれど。

また最小限の装飾や「揺らし」しかない曲想は、特にピアニストやピアノになじんだ方にとっては、杓子定規で物足りないかもしれません。しかし、管弦楽曲のようにこまかくテンポを変化させるのが困難な作品からベートーヴェンに入ってきた者にとっては、かえって親近感がわきます。

さて、作品31の3曲は1801年から02年に作曲されたことになっています(1980年ヘンレ版による、第18番は1804年という説もあるようです)。ベートーヴェンの人生の転換期となる「ハイリゲンシュタットの遺書」が1802年10月にかかれたものとすれば、まさにその直前、初期から中期への「転換期」に作曲されたといえるでしょう。この次に来る第19、20番はたまたま出版が遅くなった初期の作品で、その次はもう革新的な「ワルトシュタイン」ですから、いわば「化ける直前」ともいえるわけですね。

そういうわけで、この3曲、第17番には「テンペスト」("Sturmsonate"という表記を見たことがあります)という表題がついていますが、いわゆる「○○」という日本語の名前がついているような諸曲と比べると、ぱっと耳に刻まれる特徴的な旋律やフレーズにやや乏しく、それこそ「全曲演奏会」とか、全集のCDでも買わないと(^^;聴く機会が少ないような気がします。しかしこうして聴いてみると、曲全体を聴いたときの充実感はかなり高いです。後期の曲ほど深遠ではないでしょうが、かなりベートーヴェンの独自色がかなりはっきりしてきたころの作品なのではないかと感じました。もうすでに半分化けている、という感じ。

第16番の第1楽章は、第1主題がほとんどシンコペーションの和音と両手のユニゾンでできており、特に右手が1/4拍前に出たシンコペーションは執拗に繰り返されるので、通常の旋律と和音からなる第2主題との対比が鮮明になっています。展開部も「ずれた」和音とユニゾンが中心になっており、この部分はかなり斬新だと思います。即興でずらして弾いていたものを曲として楽譜にしたのかもしれませんね。

第2楽章は単純なアルペジオが伴奏の中心となっており、第3楽章のロンド主題がちょっと対位法的なのと相俟って擬古的な雰囲気がちょっとします。第2楽章の中間部や第3楽章のコーダではかなり即興的な要素が入ってきており、「演奏の素材」のような位置づけが特に強い曲だったのかもしれません。3楽章ともff から急転直下、弱音で終わるのがちょっと異色かも。

第17番の「テンペスト」というニックネームは、弟子で伝記作者のシントラーがこの曲と「熱情」ソナタの解釈についてたずねたところ、「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」とベートーヴェンが答えた、という話がもとになっているようです。第17番の各楽章がどの場面に相当する、という話もネット上で検索できます。しかし、「テンペスト」と「アパッショナータ」をひとからげにした、あまりにもアバウトな質問の仕方が変ですし、他のシントラーの逸話(「運命は、このように扉をたたく」とか)から推して、個人的には、そのへんの信憑性はなんとも言えない、という説に与したいと思います。題名がついていることだけでなく、(「テンペスト」の場面になぞらえられるのも納得の)各楽章の劇的な構成などもあって、作品31の3曲の中では演奏される機会がもっとも多いでしょう。

第1楽章の主題のテンポはAllegroですが、LargoやAdagioにころころ変わります。これも即興的な要素なのでしょうか。単音でゆっくり弾くところなど第5交響曲第1楽章のオーボエ・ソロをつい想起してしまうのですが、あまりに交響曲中心の捉え方ですね(^^; 第5はおろか、まだ第3も書かれていないのですから。しかし、こういう即興的な音楽がベートーヴェンの底流にある、と認識するのは間違っていないと思います。

第2楽章は右手の歌謡的な旋律と左手の早い動きの対比が面白いですが、難しそうです。第3楽章、3/8拍子で十六分音符が連なる譜面面(「ふめんづら」がこのように変換されたのですが、こうは書きませんねぇ)は、第1主題は「エリーゼのために」にちょっと似ています。しかし音楽はニ短調のソナタ形式に則った厳しい響きになっていき、決然とした第2主題などはまるで別物です。この曲も、3楽章とも最後はpでした。

第18番は、第1、3、4楽章が3拍子系で、唯一2拍子系の第2楽章が「スケルツォ」という、変わった構成になっています。スケルツォとメヌエット(第3楽章)が共存している曲は、珍しいのではないでしょうか。とはいえ、他の2曲と比較すると第1楽章がいささか劇的要素が少なく、さりとて堅固な構成ともいえず、ちょっと中途半端な印象です。

快速な第2楽章は2拍子なので、「スケルツォ」より「トッカータ」のほうが似合いそうな感じ。分厚い音はシューマンを思い出しませんか?第3楽章の「メヌエット」は、ハイドンやモーツァルトというわけにはいかないですが、優美さはかなり残っていると思います。フィナーレは、この3曲の楽章中では圧倒的に快活・快速で、ヴィルトゥオジティを堪能させてくれます

…と書いていて思ったのですが、この3曲のソナタで、明らかにヴィルトゥオジティを誇示する楽章は、これひとつといってもいいくらいです。この事実こそが、ベートーヴェンが、大即興ピアニストから大作曲家へ脱皮しようとしていることを如実に示しているのではないでしょうか。ただバリバリ弾くだけが音楽ではないことを体現しつつある時期に、この3曲が作られたことがよくわかります。

ピアノはベートーヴェンの作曲開始からもっとも身近な表現手段であり、その発展とともにベートーヴェンの作品も進歩(というか、変化)してきました。これら3曲は後期の独創性と初期の技巧性の比率がだんだんと逆転していく過程がわかるような気がして、楽しめました。

たとえ「悲愴」や「月光」があったとしても、第18番までで終わっていたら-例えば本当に自殺してしまっていたとしたら、ベートーヴェンのピアノ・ソナタはここまで名曲の誉れを受けていないでしょう。しかし、この先の創作を知って、そこから振り返ってこれらの曲を見ると、着実な変容というか、過渡期の役目を果たしているなっているのがわかります。

ベートーヴェンのソナタ、やはりきちんと聴くといっそう面白い、という思いを強くした録音でした。「不滅の9曲」や「不滅の16曲」と並んで、これも「不滅の32曲」なのですね。というわけでこれからも、忘れたころにぼちぼち聴いていきます。


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