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Stravinsky/Rite [バレエ音楽]

久しぶりの雨の週末を過ごして、また出勤の月曜日。「さあいくぞ」ってなわけで、こういう曲になりました。…と書き出したのですが、今日はすでに木曜日。昨日未明にはSo-net blogメンテナンスを忘れていて、ほとんど完成していたのをすっとばしてしまい(涙)、昨夜はSo-net blogがとても重くて、編集ページに入れませんでした。次から下書きしようかしら… なーんて、心にもないことを考えたりして。

Stravinsky: Le sacre du printemps; Petrushka

Stravinsky: Le sacre du printemps; Petrushka

  • アーティスト: Igor Stravinsky, Igor Stravinsky, Columbia Symphony Orchestra
  • 出版社/メーカー: CBS
  • 発売日: 1990/10/25
  • メディア: CD

モノラル録音もあるそうですが、私が聴いているのは1960年のステレオ録音です。ストラヴィンスキーの自作自演の録音は多く、ソニーからたくさん入ったボックスが出ていたと思います。私の持っているのは実は正規盤でなくて駅売り1000円盤ですが、いちおうステレオになっています。なお、「ペトルーシュカ」はモノラルです。

ブーレーズ/クリーブランドの新旧をはじめとして、メータ/LAPO、デジタル初期のドラティ/デトロイト、デュトワ/OSMのデッカトリオ、なぜかデジタルで入れなおさなかったカラヤン、デイヴィス、近年ではゲルギエフなど、名盤・話題盤目白押しの中で伍していくのは大変ですが、それにしてもこの自作自演盤、あちらこちらで論評されているように、一聴しただけではあまりおもしろくありません。ストラヴィンスキー自身が、「指揮者は楽譜どおり振ればよい」という趣旨の発言をしていたことは有名で、その発言を裏付けるかのような、ケレンもイロケもない、木で鼻をくくったような演奏です。

「楽譜の見える録音」という観点では必ずしも悪くないのですが。ほとんどテンポをゆらさないため、リズムがわかりやすいです。また極端に早い、または遅いテンポをとらないため、ついていきやすいと思います。音がオンマイクで(個々の楽器の直接音のみで「ひびき」がほとんどない)デッドな(残響・ホールトーンが少ない)ため、各楽器の音が妙に明瞭に聞こえるのが不思議です。スコアを見ながら聴く分には音が混濁しなくてありがたいような気がします。

さて「春の祭典」は、調性が明確でなく、テンポが一定でない音楽としては、非常にわかりやすい、というか感じやすい(感じることが容易な)、乗れる曲だと思います(もちろん、「え゛ー」という方もいらっしゃるでしょうが)。ここは何調と何調の和音が重なっているとか、ここは何小節単位で変拍子がセットになっているとか、ぜんぜん意識しないでも気持ちよく聞けます。なぜか?

その理由としては、素材が単純な和音である、民謡風の音の限られた旋律を多用している、繰り返し(音、リズム)が多くて自然に刷り込まれる、などがあると思います。素材は「火の鳥」「ペトルーシュカ」同様、トラディショナルなのですが、料理の仕方が進歩?していっているのだということですね。

以下、この録音に基づいて、「打楽器萌え~」中心につまみ食い。

「序奏」冒頭のファゴット、わざわざ「ろくに音が出せないように高音域で」作曲したそうなのですが、ここでこけるプロはもういませんね。2回目に半音下で出てくるほうが、テクニック的には難しいそうです。

「若い娘達の踊り」ff まで盛り上がっていきますが、その前のアルト・フルートのソロやアンティーク・シンバル(音程のある、鉄琴のキーを丸くしたような楽器で、シンバルのように2枚打ち合わせたりぶら下げてたたいたりします)が聞き物です。

「春のロンド」4/4になって、この録音は早い!と思ったら、楽譜は"Sosutenuto e pesante"と書いてあるものの確かに四分音符=80。でも、この速さでやると前後との対比がいまひとつ…。

「競い合う部族の遊戯」はじまってしばらくして、ホルンの2拍3連があるのですが、これも楽譜どおりやっているのはこの録音くらいなのではないでしょうか。これまで聴いたどの録音でも、ここではテンポを落としてルバート気味にやっていました。

「賢者の行進」ラテン系楽器の「ギロ」が使われているので有名な部分です。6/4拍子の3拍分で4連符という、ドビュッシーが多用したリズムでからんで来ます。

第2部の「序奏」、全曲中でも一、二をあらそう、おどろおどろしいところだと思うのですが、イゴールおじさん、ここでもあっさりさっぱりとやってくれます。「タメ」とか「しな」とかとは無縁です。車でここを聴いたときにちょうど正面に下弦の半月が見えたのですが、何となく冴え冴えとして音楽にあっていたように感じました。

「選ばれた乙女への賛歌」このあたりから変拍子がはでになってきます。マッシブな音楽ですが、弦楽器のディヴィジが多かったり、ファゴット4人のリズムが全部違っていたりなど、けっこうこったつくりになっています。このへんの譜面ヅラ(ぱっと楽譜を見たときのイメージ)は、ほぼ毎小節の拍子の数字が無ければリヒャルト・シュトラウスに近いですね。

「祖先の儀式」後半は、打楽器が同時に最もたくさん鳴るところなのですが、その中で10小節間、シンバルがなります。「もはや普通のシンバルはこれだけにしか使われない」と、20世紀における打楽器の多様化を象徴するのに使われていたのを見たことがあります。でも、タンバリンとかトライアングルとかも使ってるんですけどね…。

「いけにえの踊り」の変拍子や中間部の騒々しいところ、ティンパニの教則本に載っていたので、楽器が自由にたたけた学生のころは結構練習しました-楽しかったですよ。ひとりでやっても、あっているかどうかぜんぜんわからないのですが(^^; この録音だったら、聞きながらあわせることができたかもしれませんね。

…後半はいつにも増して散漫になってしまいました。この録音は、今となって純粋に演奏として聴こうとすると魅力に富んでいるとは言いがたいですが、やはりストラヴィンスキーが自分の楽譜を音で残そうとした結果(記録)なのですね。テンポがきちんとしているのは、こじ付けかもしれませんが理由が無いわけではなくて、これがあくまでバレエのための音楽だからです。あまり指揮者が勝手なことをやりすぎると、それでなくても拍子やテンポが難しいから踊れなくなってしまうのでは、というのは、あまりにストラヴィンスキーにひいきしすぎでしょうか。

「火の鳥」「ペトルーシュカ」は編成・長さを小さくした改訂版を作りましたが、「春の祭典」の改訂は基本的にオーケストレイションだけでした。新古典主義を経た晩年のストラヴィンスキーも、この曲は編成・構成を絞るべきではない(あるいは絞りきれない)と思ったのでしょう。1960年前後の自作自演の録音は、「火の鳥」「ペトルーシュカ」とも1910年、1911年の初版(大編成全曲版)で行っています。このころの曲は、やはり本来の大編成で聴きたいものです。


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